或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 小説集


椎名町にて候 ~おき去りにした青春~ 北見俊介 著

第一章 その3

それから何日かたって、階下の食堂で食事をしていると、おじさんが、
「ねえ、伊達さん、この間の光岡さんがね、今日か明日麻雀をやらないか、と言っているんだけど、僕知らないし、メンツ揃えてくれない?すぐ揃うでしょう?」
「揃うことは揃うけど、今から大学へ行くから話してみるよ。いたら連れてくるから。」
「じゃあ、そう言っとくね。」
僕達は他流試合はしたことはないが、原田さんに叱られてからやってないし、もうそろそろ麻薬患者のようにイライラしている時分だから、見つかって声さえか ければ、必ずシッポを振ってついて来るのに決まっている。でも問題は、僕が大学の講義のうち、唯一楽しみにしていて、余程の事がない限り、休まない授業 [法社会学]に、奴等が来ているかどうかである。教室に来てみると案の定誰もいなかったが、真面目に講義を受け帰ろうとしていると、
「おい、何やってんだ。」
と言って肩を叩かれ、振り返ってみると、吉田がいた。
「随分やってねえなぁ。今日あたり教えてやろうか、久しぶりに。」
この吉田と桜台の住人熊沢は、実を言うと僕の麻雀の弟子なのである。入学して一週間も経ってないのに、僕が麻雀の天才である事を何処からか嗅ぎ付け[教え ろ、教えろ]とやかましく言うので、仕方なく喜んで教えたのである。僕は京都で浪人中に覚え、麻雀ばかりしていたので、目指す京大にも入れず、今こうして 中央大学にいるのである。
「熊沢今日来てねえかな。」
「見てないけど、奴ならジンゲキにいるかも知れないよ。」
「そうだな、いそうだな、いってみるか。」
ジンゲキとは、人生劇場の略で、大学からそう遠くない、神田にあるパチンコ屋の事である。法社会学の授業を終え、ジンゲキに行くとやはり彼はいた。
「暇な奴だなあ。おい、もうやめろよ。」
と、吉田が言うと、
「今やっと出だした処なんだよ。お前らもやれよ。」
「俺はいやだよ。伊達どうする。」
「俺もいいよ。今日は。」
「それじゃ、ハイライトで待っててくれ。すぐ行くから。」
僕と吉田は、行きつけの喫茶店ハイライトで待つことにした。当時コーヒーは百二十円位だったが、そこは学生専門なので百円で飲めた。あたりはガチャガチャ とうるさいが、さして気にもならず、運ばれてきたコーヒーを一口飲み、ショートホープに火をつけた。
「おまえ、一ツ橋や早稲田も合格していたのにどうして中央へ来たんだ。司法試験を目指している風でもないし。」
と僕は吉田に聞いた。
「僕達の高校では(吉田は神奈川県でもトップの湘南高校卒)一ツ橋は二流なんだ。と云うのは、一流は東大へ行くだろう。初めから東大が無理な奴が一ツ橋や そこらに行く訳。だから、一ツ橋へ行くのだったら、東大の滑り止めに受けている早稲田や慶応へ行く方がかっこいい訳。」
「じゃあ何故早稲田へ行かなかったんだ?」
「早稲田や慶応へは俺の所から沢山いってんじゃん。面白くないじゃん。高校の延長みたいでさ。」
「そんなもんかね。」
「いいじゃないか。本人が良いって言ってるんだから。お前がごちゃごちゃ言わなくても。」
「そりゃそうだ。」
「それよりさ、この間俺の高校時代の連れが、東京医大に行ってんだけど、そいつが丸山博士を見たって言ってたよ。」
「丸山博士って誰?」
「お前、知らないのか?馬鹿だなぁ。あの有名な丸山ワクチンの丸山博士さ。」
「丸山ワクチンって?」
「どうしょうもない馬鹿だなぁ。ガンの薬の丸山ワクチンだよ。俺はもしガンになったら、絶対丸山ワクチンをもらうよ。」
「でも、誰にでも手に入るのか?それに高いんだろう?」
「一寸手続きは面倒だけど、無茶苦茶安いんだよ。薬品会社は色々と買いに来ているらしいが、博士は絶対売らないんだって。売っちゃうとバカ高くなるから ね。しかし、残念な事になかなか厚生省が認可しないんだ。薬事法とか何とか、うるさい法律があってさ。きっといろんな利権が絡んでいると思うよ。」
「おい、伊達。」
と声がするので、顔を上げると柴木が立っていた。
「こんな処で、又さぼってよからぬ相談をしているのか?一度俺んとこへ遊びに来いよ。」
「おお、そのうち行くよ。じゃあな。」
「じゃな、また。」
と言って柴木は出ていった。柴木は名古屋の出身で、中野に住んでいる。真法会(司法試験の研究会)に入っていて、検事を目指している。
「すまん、すまん、待ったか?」
と言いながらにやにやして、熊沢がやってきた。どうやら勝ったようだ。
「遅いよ。じゃあ行くか。」
せっかちな吉田が言うと、熊沢は、
「俺にもコーヒーくらい飲ましてくれよ。」
「早く飲めよ。全く愚図なんだから。」
「お前がせっかちなんだよ。今夜はとっちめてやるからな。覚悟しておけよ。」
二人のやり取りを横で聞きながら、僕が見てもゆっくりとした動作で、コーヒーを飲む熊沢に多少の苛立ちを感じながら、光岡氏のことを話した。二人の弟子達 は初めての他流試合に、いささかの緊張と不安を抱いた様子だった。熊沢がやっと飲み終えたので、勿論割り勘でコーヒー代を払い、ハイライトを出た。

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