或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 小説集


椎名町にて候 ~おき去りにした青春~ 北見俊介 著

第五章 その6

師走に入ると、反戦を旗印に、大学理事法案に基づく授業料値上げ阻止を掲げ、大学側と学生達の間で対立は深まり、団交が重ねられ、学生運動は一段と激しさ を増してきた。早稲田や東大では、学生達がバリケードを築きストライキを敢行したため、大学側は機動隊の出動を要請し、排除をすると云う強硬手段を取っ た。それが返って学生達を刺激する結果となり、泥沼化していった。中大においてもストに突入するのは時間の問題だった。浩一は、僕に事態が変わったら連絡 してくれと言い残して、12月の半ば頃にさっさと帰省してしまっていた。
僕は、今の収拾のつかない大学側と学生達の対立や、日本の将来も、気にはなっていたが、そんな事よりも、もっと切実な問題があった。7月の時点では、さし て気にも留めていなかった百合との別れが、日一日と迫っている現実だった。今日はいよいよ最後の日である。父親が転勤になったアメリカでは、クリスマスに パーティがあるのだが、家族特に妻が同伴する事が習慣になっていて、クリスマスの日には、百合達はニューヨークにいなければならないのである。僕達は、最 初にデートをした[メルローズ]で、3時に合う約束をしていた。憂鬱な気持ちで行くと、百合はもう来て待っていた。僕は何を話していいかわからず、必死で 言葉を捜していた。
「いよいよだね、もう準備できた?」
「ええ、…………」
「ニューヨークは寒いらしいね。」
「そうみたい。」
百合は気のない返事をした。
「どれ位向こうにいる事になるんだろうね?」
「さあ、2~3年じゃないの。………ああ、これプレゼント。」
百合は小さな赤いリボンのついた紙袋を出した。
「プレゼント?」
「だって、明日は日本にいないのよ、私。今日はイヴイヴよ。クリスマスプレゼント。」
「クリスマスプレゼント?僕に?」
「そうよ。」
「ありがとう。開けていい?」
「ええ。あまりよくないけど、なんとか間に合ったわ。女の子にはね、誕生日よりもクリスマスの方が大切なのよ。」
開けてみると、明るいグレーの手編みのマフラーだった。僕らの田舎では、クリスマスプレゼントを交換し合う習慣などなかったし、あったとしても、せいぜい 朝目が覚めた時枕元に、紙で出来た赤い長靴が置いてあってその中に、飴やお菓子が入っている程度だった。
「ありがとう、感激だなあ、大事に使わせてもらうよ。」
「明日は見送りに来ないでね。」
百合はぽつりと言った。
それから早速そのマフラーをして、僕達は皇居のお堀端を腕を組んで歩いた。12月の東京は陽が短い。僕は組んでいる腕をほどき、百合の肩に手を回した。
「もう、帰らないといけないんじゃないの?」
心と裏腹の事を言った。
「うん、そうね。」
玉砂利の中にあるベンチに腰をかけた。回している手に力を加え、百合の体を引き寄せた。百合は、僕の肩に顔を埋めた。
「どうしていいか僕には分からないんだ。」
「なにが?」
「キスしていい?」
「いや!」
「ダメ?」
「ここじゃいや。」
「僕には分からないんだ、どうしていいのか。」
独り言のように僕は言った。ポケットから煙草を取り出し、火を点けた。車のヘッドライトに照らし出されて、時折カップルが僕達の前を通り過ぎていく。
「ちょっとここで待っててね。」
と言って、百合は40~50メートル先の電話ボックスへ入っていった。母親に遅くなるからと、電話しているのだろうか、と思った。僕は、ポケットからまた 煙草を取り出して、火を点けた。15~6分たっただろうか、百合はタクシーを止め、僕に手招きをした。乗り込むと、百合は運転手に行き先を告げたが、僕に ははっきり聞こえなかった。タクシーは高輪ホテルの玄関に着いた。食事でもするのかと思ったが、百合は直接フロントへ行き、チェックインの手続きを取っ た。僕の胸は早鐘のように鳴った。ボーイがエレベーターで案内をした。無言のまま、僕は眼線を上げ、階を示す赤いボタンを追っていた。2,3,4,5,6 の所でエレベーターは止まった。
「ごゆっくりどうぞ、ご用がございましたらフロント5番をお回し下さい。」
と言って、ボーイはドアを閉めた。百合は手にバックを持ったまま、コートも脱がず僕の胸に飛び込んできた。僕は、思いきり抱きしめキスをした。柔らかい唇 だった。少し落ち着いてから、ソファに座り、百合が入れてくれたお茶を一口飲んだ。火が点いたままの煙草を灰皿の上に置き、僕は立ち上がって窓の外を見 た。枯葉が舞い落ちる音が聞こえそうな夜だった。
「お風呂、入っていると思うわ、どうぞ。」
と百合が言った。僕は、
「ああ。」
と言って、ホテルの浴衣を手に持ってバスルームに行った。この後すぐ起こるだろう出来事を想像してみたが、僕にはまだ実感が湧かなかった.交代するように 今度は百合が、バスルームに消えた。バスルームのドアに隠れて、百合は下着以外の着ているものを床に脱いでいた。僕は、こんな時どのように振る舞うのが、 紳士的なのか分からなかった。点けた煙草を二、三服して、灰皿にもみ消し、ベットに入って待つ事にした。百合は、スルスルと僕の左側に入ってきた。湯上が りの香りと、明美とはまた違う女の匂いがした。
左腕になくなった重みと、かすかに聞こえるシャワーの音で、僕は浅い眠りから目を覚ました。百合が、白いタオル地のバスローブを着て出てくると、驚いたような顔をして、
「あら、起きたの?眠っている間に、帰ろうと思っていたのに。」
と言った。時計を見ると、午前一時を少し回っていた。僕は起き上がり、百合を抱きしめ長いキスをした。彼女の唇の感触を、永遠に忘れないように、確かめな がら。百合の着ていたバスローブが肩から床にすべり落ちた。百合は、息苦しそうに唇を離し、僕を両手で軽く制し、落ちたバスローブを拾い上げようとした。
「お願いがあるんだ。そこの窓のところに立ってくれないか。君の裸を僕だけのフィルムに残しておきたいんだ。」
満月に近い月の光と、部屋の間接照明に照らし出された百合の肉体は、静視するには眩しすぎた。百合の眼からは涙が溢れていた。身支度を整えた百合は、フロ ントに電話をしタクシーを頼んだ。僕は、もう一度百合を抱きしめた。
「忘れないよ、絶対に、君の事。それに、クリスマスプレゼント。」
「私も忘れないわ、貴方の事。手紙書くわ、貴方もちょうだいね。それじゃ行くわ。貴方に会えて楽しかったわ、さよなら。」
百合は、ドアを閉め、出て行った。百合の靴音が段々遠くになり、やがて聞こえなくなった。


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