或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 小説集


椎名町にて候 ~おき去りにした青春~ 北見俊介 著

第五章 その3

今日から銀座のヴァン画廊で光岡さんの個展が始まる。6時から簡単なパーティがあるらしく是非来て欲しいと、光岡さん言っていたので、百合と百合の母親と 3人で行く事になっていた。土曜日の恒例のデートは父兄同伴だなぁ、と思いながら待ち合わせの場所である有楽町駅の改札口へ急いだ。しばらくして百合達も やって来た。母親にこの間のお礼を言い、5時半頃ヴァン画廊に着いた。受付の芳名録に名前を書こうとして一瞬息が止まった。驚いたことに、明美が座ってい たのである。
「いらっしゃいませ。お久しぶり、お元気?伊達君。」
「はっ!はぁ。」
全くの不意打ちである。明美は僕が来ることをあらかじめ予想していたから、心の準備は出来ていただろうが、こっちは慌てふためくばかりである。脇の下を汗 が流れるのがわかった。それでも、百合の手前冷静を装い、会場の中に入っていった。画廊は30坪程の広さで、パーティには少しまだ時間があるせいか、十数 名しか客はいなかった。百合がモデルになった作品には[樹聖]と云う題名が付けられていた。欲目かもしれないが、一番良い作品だと思った。明美の作品には [かすみ草の女]と云う題名が付けられており、これもなかなかの出来ばえだった。僕が明美の写真を見ていると、
「きれいな方ね。この人受付にいらっしゃった方ね。お知り合いなの?」
百合が聞いた。
「うん、以前椎名町のバーにいたんだ。時々飲みに行ってたから、知ってんだ。」
「その節はいろいろとどうも。」
光岡さんがやってきて百合に挨拶をした。
「いいえ、私何だか別人みたい。恥ずかしいわ。ああ、母です。こちらカメラマンの光岡さん。」
「百合の母です。いろいろとお世話になりまして、ありがとうございました。」
「とんでもない。お世話になったのはこっちの方です。無理言って済みませんでした。どうぞごゆっくりなさって下さい。」
今日は光岡さんもばっちり決めている。そろそろパーティが始まるようである。人もいつしか40~50人位集まって、会場は少々きつくなっていた。先ずこの 画廊のオーナーがやや長めの挨拶をし、光岡さんが感謝とこれからの抱負を述べ、光岡さんの友人が乾杯をした。しばらくして、ジャケットの裾を誰かが引っ張 るので、振り向くと明美がいた。
「素敵な娘ね。君にはぴったりだよ。今、ここにいるから、気が向いたら来てね。」
と言って、角の丸い名刺を僕に渡した。見ると、新宿のバーの名前と、玲子と書いてあった。
「うん、どうも。あれからどうしてたのか心配してたんだ。行くよ、必ず。」
「じゃ、また、元気で。」
明美は軽くウィンクして、水割りを作ったり運んだり、明るくテキパキと動き回っていた。7時過ぎにヴァン画廊を出て、百合の母親が予約しておいた店で、僕 は初めてのフランス料理を御馳走になった。センスがないと、叱られそうだが、今でもどうしてもフランス料理だけは好きになれない。どうしてかというと、ま ず、ほとんどの料理が冷たいのか温かいのかわからない事、運ばれてくる料理と料理の間の時間が長く待たされる事、いい加減腹が一杯になった時分にメイン ディッシュが出てくる事、それに値段が高い事。それでも僕は、
「御馳走様でした。生まれて始めてフランス料理を食べました。美味しかったです。」
と、礼を言った。店の前で別れ、僕は地下鉄丸ノ内線で帰った。[ナイフとフォークは外側から外側から使うのだ、と云うことを吉田に教えてもらっていたのが役に立った]と思いながら…


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