或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 小説集


椎名町にて候 ~おき去りにした青春~ 北見俊介 著

第四章 その3

バイトをしながら、土曜日には百合とのデートを重ねながら、明美のアパートと自分のアパートを気ままに行ったり来たりしながらの日々を送っていた。たまたま自分のアパートに居る時、
「伊達さん、電話、おふくろさんから。」
と、食堂のおじさんが呼びに来てくれた。電話の内容は、何故帰ってこないのか、浩一はもうとっくに帰ってアルバイトをしているのに、お前は一体何をしてい るのか、あまりアパートにも帰ってないらしい、いつこちらに帰ってくるのか、と内容は予想通りだった。そのうち帰ると言って切ろうとすると、そのうちとは いつか?と聞くので、2~3日のうちに、と答えざるを得なかった。僕は仕方なくウィーンでバイトの清算をしてもらい、猪山にはその旨を言い、百合に帰省を 電話で伝え、バックに洗濯物を詰め込み、東京駅へ向かった。新幹線も新大阪までは開通していたが、急ぐ旅でもないし、お金も勿論無いし、急行銀河を利用す る事にした。やっとの思いで終点の姫路に着き、在来線で相生まで行き、そこから赤穂線に乗り換え、邑久に辿り着いた。拾何時間もかけて故郷に帰ってきたの に、懐かしい気持ちより、煩わしさの方が先によぎった。母親の愚痴を又聞かなければならないのか、あの仏頂面の親父の顔を見るのか、阿呆な妹達とも話をし なければならないのか、などと思うと、改札口を出たくなかった。やはり、故郷は遠きにありて想うもの、なのだろうか。バスに揺られながら我が家に着いた。 幸いにも両親は出払って居なかったので、2階のそのままになっている自分の部屋へ行き、押し入れから布団を出して、少し眠る事にした。
「省吾。ご飯だよ。起きなさい。」
と言う母親の呼ぶ声に起こされ、1階へ降りていった。僕は、照れ臭そうに、
「ただいま。」
と言うと、
「いつ帰るのかと、心配しとった。元気そうでなにより。」
と、母親が喜んだ。僕の帰省を知ってか、活き活きとしたや鮃や鮑や蛸などの刺し身が、文字通り山のように飯台の上に並べてあった。半年振りに食べる瀬戸内 海の味は格別だった。二十何年たった今でも、刺身は瀬戸内海物が一番だと確信している。僕は、少しづつ機嫌が良くなり、親父と飲み交わすビールも悪くない なあ、などと思ったりもした。
「お前、勉強しとんだろうな。」
「うん、まあまあ。」
「東京ば行く時に、弁護士やこになる言うけん、行かしたんやでな。」
「うん、わかっとる、わかっとる。」
親父は痛いところを、言葉少なに突いてきた。同志社も合格していたが、弁護士になるためには、中央へ行った方が断然有利だと、親父を口説いたのだが、それ は口実で、本当は出来るだけここから離れたかったのだ、などと今更言えないし、仕送りはやっぱりしてもらわないと困るし、かといって司法試験は全く興味な いし、第一無理なことがはっきり解った今は、当分の間適当にごまかしておくしかない。僕は、親父に気づかれないように、小さなため息をついた。
高校時代の友人達と、酒を飲んだり、麻雀をしたり、釣りや海水浴を楽しんだり、都会から旅行に来ている女子大生や若いOL達をからかったりして、思ってい たより早く2週間が過ぎていった。集中講義があるからと、嘘を吐き、故郷を発ったのは、8月も終わりかけていた頃だった。上京してすぐ東京駅から百合に 帰ってきた報告と、会う約束の電話をし、椎名町の自分のアパートに荷物を掘り込み、小汚い猪山のアパートに行ってみると、人恋しそうに彼がいたので誘い、 ラビアンローズへ出掛けた。明美を捜したが、今日は休みなのか店にはいなかった。しばらくしてカウンターに座り直して、中にいる好恵ママに、
「今日、明美さん休みなの?」
と聞いた。
「明美?やめちゃったよ。」
「えっ!ほんと。いつ、いつやめたの?」
「うん、そうね、もう4~5日になるかしら。あら、知らなかったの?君と親しくしてたんじゃなかったの?」
「えっ、とんでもない、そんなこと。それで今、どこにいるんですか?」
「アパートも変わるって言ってたし、多分新宿辺りにいるんじゃない。あの娘は新宿が好きだったし、似合う娘だよ。いい娘だったのにね。あたしも残念だけ ど、しょうがないものね。本人がやめるって言うもの。」
「そうか、やめちゃったのか。」
僕は用事を思い出したと、猪山に言い、彼を店に残して明美のアパートへ急いだ。次の住人が決まっていない部屋に灯りは点いてなかった。未だ持っているカギ でドアを開け中に入った。部屋の中はムッとしていた。僕は湿り気のある畳の上に崩れるように座った。僕と明美とは一体なんだったのだろうか?愛していたの だろうか?明美は僕の事を愛してくれていたのだろうか?女装して新宿の街を歩いた事、本当に楽しそうにソフトクリームを食べていた豊島園、いつも口ずさん でいたコーヒールンバ、哀しい寂しい顔など一度も見せた事がなかった、僕の初めての女。暗い部屋の中で僕は、とめどもなく流れてくる涙を、手で拭いなが ら、過ぎ去った大人の愛を感じていた。


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