或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 小説集


椎名町にて候 ~おき去りにした青春~ 北見俊介 著

第四章 その1

2~3日して百合に電話をし、デートの約束をした。百合に又ミーハーだと笑われそうな気がしたが、前から一度はデートの待ち合わせ場所にしたいと思ってい た、渋谷の忠犬ハチ公前を僕は指定した。会ってみると、百合はこの間のことは全然気にしていない様子だった。百合の知っている青山の店で、初めてピザと云 うものを食べた。ナイフもフォークもないし、ましてや箸もない。どうやって食べるのか、僕は分からなかった。ピラフ事件のこともあるし、百合が食べ始める まで待った。
「こうやって、手で食べるのよ。ピザの本当の食べ方は。」
と教えてくれた。店内はほの暗かったが、清潔な空気が流れ、誰もが軽やかなジャズの生演奏を快く感じながら、思い思いの会話を楽しんでいた。
「伊達さん。明日の日曜日、何か予定あります?」
「別に、何もする事はないけど。」
「よかったら私の家へ来ませんか?」
「柿沼さんの家へですか?」
「いや?」
「いやじゃないけど、またどうして?」
「ええ、両親にこの前の事や、あなたの事を話すと、面白そうな人だから、是非会ってみたいって言うの。明日なら丁度父もいるから、11時頃東小金井の駅で待ってるわ。」
百合の両親に会うと云う展開は、予想もしていなかった、困った事になってしまった、などと思っているとなかなか寝つかれなかった。
次の日、いつになく早く目が覚め、少し緊張気味で駅に着くと、改札口のところで小さく手を振って百合は待っていた。
「おはよう。」
「おはよう。僕何だか緊張するな。」
「大丈夫よ。余り固くならないで。」
いつもよりゆっくりめに歩いたが、7~8分で百合の家へ着いてしまった。
「ここよ、ここが私の家よ。」
見ると、当時としてはモダンな感じの、外壁は白いスタッコ風の吹き付けがしてあり、屋根はモスグリーンのカラーベーストで葺かれていた。庭は手入れが行き 届いており、芝生もよく刈り込んであった。その庭に張ってあるゴルフのネットの練習場で、中年の紳士が中学生か高校生位の男の子達に、和やかに教えてい た。百合が木製の彫刻が施してある玄関ドアを開けた。案内されて僕が中に入ると、
「こんにちは、百合の母です。お話は百合から伺っています。どうぞお上がりになって。」
丁寧に百合の母親が挨拶をした。
「こんにちは、伊達と申します。おじゃまします。」
僕は応接間に通された。長く感じられた一人だけの時が過ぎ、その後ろに、さっき庭で見た紳士も一緒に入ってきた。(親父だ)
「父です。こちら伊達さん。伊達省吾さんです。」
と百合が紹介をした。
「初めまして、百合の父です。」
「初めまして、伊達です。今日はお言葉に甘えまして、おじゃましました。」
「どうぞ、どうぞ、よく来てくれました。楽にして下さい。」
そう言って、親父は僕の向かいのソファに腰をかけた。(楽になんかなれっこない。品定めされているようで)
「伊達君は中央の法科だそうだね。」
「はい。」(来るぞ、来るぞ)
「将来はどうするのかね?弁護士か検事にでもなるのかね?」
(ほら、やっぱりきた。中央の法科だと全部弁護士か検事になると思っている)
「いえ、とても難しくて無理です。」
「中央には真法会があるだろう。入っているのかね?」
「いいえ、僕なんか真法会に入る試験にも合格しませんよ。ましてや司法試験なんて、とても、とても。」
「僕の部下にね、中央の法科出身の奴がいてね、彼は真法会にいたと言ってたから、それで知っているんだけど。なかなか難しいらしいね、司法試験は。3年で 彼、諦めて就職して、うちの会社に来たって言ってたよ。いえね、僕は三友商事に勤めているんだけど。」
「三友商事ですか!すごいですね。」
「いや、大したことないよ。図体は大きいが一つの事業部の中に入ると、中小企業よりひどいね。今日は久々の休みだよ。ねえ百合。」
「そうね、日曜日でもほとんどお仕事か、ゴルフだものね。それに転勤も多いし。」
「じゃ、ごゆっくり。僕はもう少し息子達をしごいてくるよ。」
と、去っていった。僕は待ってましたとばかりに煙草に火を点け、深く吸って勢いよく吐いた。お昼はお寿司を、多分上等のお寿司だったのだろうが、僕は、弟 達のジェラシーを斜め右横から感じながら、育ちの違う両親に気を遣いながら、百合の心を探りながら、食べた。しばらくして紅茶とケーキが出され、いただい ていると電話のベルが鳴り、母親がとった。
「はい、柿沼でございます。主人でしょうか?しばらくお待ち下さい。あなた、会社からお電話です。」
父親は5~6分程話していたが、電話を切り、
「おい、支度をしてくれ、会社へ出掛けてくる。伊達君せっかくだけど、失礼するよ。ゆっくりしていって下さい。」
と、慌ただしく奥の方へ消え、程なく玄関から出て行く様子が伺えた。時間を持て余し気味だった僕は、3時前に失礼する事にした。駅までの道は分かっている から、と言ったが、母親は百合に送っていくように言った。
「柿沼さん、今日はどうも御馳走になりました。ところで、男友達はいつもああやって、家の人に紹介するんですか?」
送ってもらう道すがら、僕は百合に尋ねた。
「いいえ、あなたが始めてよ。どうして?」
「いえ、一寸聞いてみただけです。」
池袋までの切符を買い、改札口で百合と別れた。僕は、百合の視線を背中に感じていたが、意識的に後ろは振り返らなかった。階段を上り、プラットホームに出 た。[今からどうしよう?そうだなあ、柴木んとこへでも行ってみるか、あいつは中野に住んでたし、丁度いいや、一度来い来い、言ってたし。]と思い、以前 もらってサイフの中に入れていた、柴木の住所のメモ書きを頼りに、中野で途中下車をした。中野の駅員に大体の場所を尋ね、その辺の煙草屋へ寄って詳しく聞 いた。柴木の住む[ときわ荘]は、外観だけ見ると、とても人が住んでいるような建物ではなかった。二階の12号室が彼の部屋だった。ノックをすると、
「開いてるから、どうぞ。」
と言う声がした。
「おお、伊達。どうした、ま、入れよ。」
「一寸、ぶらっと来てみたんだ。それに、前から一度行こうと思ってたし。」
「よく来たなあ、お茶でも入れてくるよ。その辺に座ってくれ。」
と言って、柴木は廊下にある共同炊事場へ行った。どこに座ればいいんだ、部屋の中央にホームゴタツが一つごろっとあり、辺りは本の山である。4帖半の部屋 は、昼間だと云うのに、電気を点けないと足を取られそうになる。
「おい、飲めよ。」
柴木はお茶を僕に出した。不潔そうで余り気が進まなかったが、せっかく入れてくれたんだし、一口飲んだ。予想外に美味しい日本茶だった。
「お茶だけは贅沢しているんだ。美味しいだろう?茶菓子でもないのか?」
「ああ、ごめん、ごめん、気が利かなくて。ところでお前、この本全部読んだのか?」
「ほとんど読んだかな。本は親友だからな。読んだからって捨てられないし、たまっちゃうんだ。お前はどうなんだ、今、どんな本読んでる?」
「俺?読んでないよ、全然。」
「お前、一体大学へ何しに来たんだ。お前も大学へ入るのが目的だった口か?」
「そういう訳でもないが、色々と忙しくてね。この、ジュリストって雑誌、沢山あるが、どんな本?」
「本当に知らないの?」
「うん、知らないよ。」
「情けないなあ。ジュリスト知らないなんて。本当に中央の法学部の学生かよ!この本はだな、いろいろな裁判の判例が載っていて、それについて学者が、様々な観点から解説している月刊誌だよ。」
「ふん、そうか、面白そうだなあ。」
柴木はあきれ返っていた。我妻栄の民法全集もある、専門書だけではない、歴史書もあれば、推理小説もある。文芸書もある。その他に彼は落語も聞きに行け ば、歌舞伎も観るし、コンサートも聴きに行くそうである。僕は、落語は興味があるので、一度末広亭か、鈴本に連れていってもらう約束をした。柴木は人間 は、5時間以上眠ってはいけないのだ、と言い、この本でも読め、と3冊の本を貸してくれた。そのうちの一冊[国盗物語]だけは読んだが、他の二冊は開きも しなかった。柴木に返すタイミングを失い、今も僕の手許に残っていて、その本を見る度に、柴木の事を思い出す。柴木は、中野の駅まで僕を送ってくれ、駅前 のラーメン屋で、ラーメンライスを食べ別れた。


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