或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 小説集


椎名町にて候 ~おき去りにした青春~ 北見俊介 著

第三章 その3

早速光岡さんに話すと、早い方が良いと言う、今から電話しろと言う、撮影は明日か明後日にしようと言う。僕は2~3日のうちには必ず連絡を取るから、待っ てくれと、なだめた。百合からの返事はOKで、両親も自分自身の問題だから自分で判断するように、との事だった。光岡さんの希望通り、ウィークデー、確か 次の週の水曜だったと思うが、東小金井市の駅前で、朝7時に待ち合わす事になった。朝の7時に東小金井まで行くためには、6時には椎名町を出発しなければ ならない。僕はとてもその時間に間に合うように起きれないから、前の夜は光岡さんのマンションに泊めて貰った。翌朝、誰かから借りてきたライトバンにいろ いろな器材を積み込み、僕は眠い目をこすりながら、助手席に乗った。
「今日はあいにくの雨ですね。こんな日でも撮影するんですか?」
「しょうがないだろう。これもまたいいんじゃないか。」
「どこでするんですか?」
「うん、君からその娘の話を聞いて、イメージにぴったりの所が武蔵野にあるんだ。」
東小金井の駅前には7時少し過ぎに着いた。柿沼百合は、白いレインコートに、白い雨靴を履いて、薄いピンクの傘をさし、待っていた。駅はサラリーマンの出勤も始まっており、朝の慌ただしさが感じられた。
「光岡さん、こちら柿沼さんです。」
「おはようございます。柿沼です。伊達さんに乗せられちゃって。」
「おはよう。光岡です。今日はよろしく。」
予想通り気に入ったようで、もう光岡さんはプロの目付きになっていた。
「どうぞ、乗って下さい。伊達君、魔法瓶にコーヒーが入ってるから飲んで貰って。君もよかったらどうぞ。(だって)伊達君からは聞いていたが、私の想像通りだ。」
「僕の目に狂いはありませんよ、光岡さん。」
光岡さんは、車を30分程走らせた処で止め、僕達を残してどこかへ行った。15分位して光岡さんは戻ってきた。
「さあ、はじめようか。降りて。」
「どこへ行くんですか?」
「悪いけどちょっと歩いてもらうよ。伊達君その器材を持って。」
楢や欅が入り交じった雑木林の中を、僕と百合は光岡さんの後ろに従った。まだこの辺りはわずかに原生林が残っている。6月の終わりにしては肌寒く、三人の吐く白い息が、朝露の中に溶けていった。
「よし、この辺でいいだろう。」
光岡さんは立ち止まって煙草に火を点けた。僕もショートホープに火を点けた。二人の吐いた煙が霧を濃くしていくようだった。雨音もかき消され、リンリンと した空気が漂い、地球上に三人だけが取り残されているようだった。煙草の吸いがらを靴の裏でもみ消し、
「それじゃあ柿沼さん、先ずその木の横に立って。そうそう、そんなふうに。普通でいいです、普通で、ごく普通でね。」
と言いながら、光岡さんは既に、十数回シャッターを切っていた。
「はあい、歩いて、こっち向いて、はい歩く、止まって、こっち向いて、こっち向いて。いいねその調子。伊達君、そのカメラこっちによこして、これにフィル ム入れて。傘、こっちによこして、少し走って、髪をさわって、そうそう、はい立ち止まる。いいね、笑って、自然に笑って、自然にね。」
次第に道のない、笹が密生している方へ移動していく。
「レインコートを脱いで、手に持って、そう歩いて、いいから好きなように動いて、よおし、休憩。傘!伊達君持ってきて、彼女に渡してあげて。」
光岡さんは黙って煙草を吸っている。僕はどちらにも声をかけ辛くなっていた。煙草の煙と、吐く息の白さで会話をしている。
「さあ、もうひと頑張り。始めるぞ。コートを伊達君預かって。」
カシャカシャカシャ、シャッターはひっきりなしに押されている。
「靴脱いで、そう少し痛いが我慢して。よし走って、止まって、歩いて、こっち見て。そのストッキング邪魔だなぁ。それも脱いで。」
「光岡さん、やり過ぎだよ、それは。」
「黙ってろ!お前は。脱いで。さぁ早く。」
百合は一瞬躊躇したが、キリッと目を据え直し、木陰へ行き、ストッキングを脱いだ。素足が色っぽい。とてつもなく色っぽい。もう僕はやけくそになってい た。雨に濡れた白いブラウスは透けて、下着がくっきり見える。薄い空色のフレアスカートも雨を吸い込み腿のあたりが、ぼんやり見える。もうこれは三人三様 の戦いだと思った。僕の大事にしていた、大切な宝物が壊れていってしまうようだった。(なるようになれ、これで俺と百合がダメになろうと、これっきりにな ろうと)
「お疲れ様。ご苦労さん。」
光岡さんに笑顔が戻った。車を止めていた場所まで戻り、光岡さんは、用意していたバスタオルを百合に渡し、濡れた髪を拭くように言った。その仕種も色っぽ い。光岡さんは、百合に、車のヒーターをかけておくから、濡れた身体を乾かすように言い、僕達は少し車から離れた。ヒーターが効きだすと、窓ガラスは曇っ て車内は見えなかったが、僕は、百合が行っているだろう、様々な光景を想像した。香りのなくなった冷めかけたコーヒーを飲みながら、光岡さんの横顔をうか がった。
「良い作品が出来そうですね。」
「うん。」
光岡さんは満足そうに煙草を吸った。僕は、この事で結果的に、百合を失ったとしても、自分が招いた事なので、光岡さんを恨んではいけないと思った。小一時 間ほど経ってから車の窓ガラスをコンコンと叩いた。百合は窓を開け、にっこり微笑んだ。
「ごめんね。こんなにハードになるとは思わなかったもんで。」
「いいのよ。OKしたのは私だし、以外と楽しかったわ。大変ね、モデルさんて。」
百合の言葉を聞いて、少し救われた気分になった。光岡さんの運転する車に乗って、東小金井駅まで百合を送っていった。百合は、何事もなかったように、軽く 会釈をして、去っていった。もっと見送っていたい僕の気分を無視して、光岡さんは勢いよく車をスタートさせた。
「もう一度撮りたい娘だね、彼女は。但し、今度は裸をね。」
と光岡さんは言った。
(いい加減にしてよ。僕の気持ちも知らないで。)


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