或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 エッセイ集


  98.信州長野

4月の末に長野県を訪れた。今回で4回目になると思うが、ほとんどと言っていいほど長野についての知識はない。松本城を見学したのと、アルプスを垣間見たのと、美ヶ原の野外彫刻を時間に追われながら駆け足で観たくらいである。
残念ながら、今回も善光寺へはお参りできなかった。「遠くとも一度は詣れ善光寺 救け給うぞ弥陀の誓願」と言われているが、どうやらご縁がなかったよう で、「また来なさい」ということかも知れない。また、昨年はある知り合いから「諏訪大社」の御柱祭に招待されたが、スケジュールがどうしても合わず断念し た。御柱祭は寅と申の年に行われる日本有数の大祭のひとつで、それを目にするには7年の月日を待たねばならない。
この度の長野行きは、パナホーム東海の社長であるH氏の依頼に基づくものである。彼が社長に就任してちょうど1年が経過したのを機に、以前からのお誘いに 乗じたのである。2代前の社長M氏とは、長く同じ販社の仲間として付き合っていたが、3年前に健康上の理由から退職され、その時に彼が所有していた株を、 その評価が余りに高過ぎるため引き受ける者がなく、パナホーム東海という企業が自社買いをした。そのことにより、メーカーであるパナホームの持ち株比率が 70%を超えたため、メーカーの子会社になったのである。М氏の後の2年間はS氏が社長を務めたが、業績が芳しくなかったため、メーカー社員であるH氏 が、急遽1年前に社長を仰せつかったのである。
彼はメーカー社員でありながらも、私と心を許せる数少ない人間であった。転勤になる度に私の元を訪れ、色々と私から盗んで施策に組み入れていた。しかし、 今回のパナホーム東海への転勤だけは、相当ショックであったと推測される。何せ彼は近畿圏から出たことがないし、一人の知り合いもいない長野県である。 「今、新大阪駅です。今から長野に行ってきます」。私の携帯に電話してきた彼の、泣き出しそうな、何とも言えない弱々しくか細い声が、今でも私の耳に残っ ている。
しかし、1年ぶりにあった彼は、経営者としても、勿論人間としても、一回りも二回りも大きくなっており、長野での生活そのものを楽しんでいて、余裕さえ感 じた。私は2時間余り、経営や営業について幹部の方々にお話をした。その帰りの車の中で、彼は「香山社長の十八ヶ条の憲法だけが心の支えでした」とボソッ と語った。私は、熱いものがこみ上げてくるのを我慢するのが精一杯だった。