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香山草紙 エッセイ集


  94.古都奈良~明日香編~

藤村風に言えば、「明日香は全て古墳の中」になるであろう。
もう随分以前になるが、夏のうだるような暑い日に、明日香を訪れたことがある。その記憶を辿りながら、書いてみることにする。
実は私の中でモヤモヤしていたことがあり、色々調べてみたが、それでもわからないので、観光協会に直接電話をして聞いてみた。「明日香」と「飛鳥」の違い についてである。万葉の時代からも使われていたらしいが、「飛鳥」はその地方にかかる枕詞だったようであり、漠然としていて、広い意味で使われていたそう である。昭和31年に三つの村が合併して「明日香村」となってからは、正式な名称は「明日香村」で、その中に「飛鳥」という大字があるとのことだ。結局は よくわからず、観光協会の人も、はっきりとしたものはなく適当に使い分けているらしい。何か大雑把で、私は安堵し、古代のロマンを一層感じた。
推古天皇が豊浦宮に宮殿を建て、天武天皇が飛鳥淨御原宮に宮殿を構え、持統天皇が藤原京へ遷都するまでの100年の間、飛鳥に都があったとされている。 645年に中大兄皇子や中臣鎌足らの手によって起こされたクーデター、蘇我入鹿を倒したあの有名な「大化の改新」も、この時代になされたのである。
有名な古墳の中のひとつに「石舞台古墳」がある。わが国最大の方憤で、蘇我馬子の墓とされている。三十数個の岩からなる古墳の総重量は2,300トンもあ り、天井石は77トンとされ、当時の土木や運搬技術の高さを窺うことができる。横穴式石室が露呈している独特な形状をしており、天井石の上面が広く平らな ところから「石舞台」と呼ばれている。
また、「高松塚古墳」は「キトラ古墳」と並び称された有名な古墳である。高松塚古墳は7世紀から8世紀初頭に築造され、被葬者については様々な説があり定 かではない。石室の壁画は文化的価値が極めて高いもので、発見されて以来、雨水やカビの発生による劣化が進行していることが確認された。その保存や修復方 法についても様々な議論が重ねられたが、現在は一旦解体され、別の場所で修復されている。壁画は石室の東壁・西壁・北壁・天井の四面に描かれており、今で いうフレスコ画の技法が使用されている。「白虎」や「飛鳥美人像」は、我々も教科書等で目にしたことがある壁画である。他にも色々な星座が描かれており、 ロマンと神秘に思いを馳せてしまう。
「日本書紀」をもう一度おさらいをして、今度はゆっくりと、日本人のふるさと=悠久の地「明日香」を訪れたいものである。