或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 エッセイ集


  90. 西郷どん

「西郷どん」という飯屋がある。場所は、国道29号線を青山から5~6キロほど鳥取に向けて走った道路沿い。お世辞にも綺麗なお店ではなく、少し強い風が 吹けば倒れそうな建物である。私の記憶では、30年以上変わらぬ佇まいである。今は女主人がひとりで切り回しているが、以前は使用人もひとりいた。これは 推測だが、女主人が気侭に店を開けたり閉めたりするものだから、客足も減り、見合う給金が払えなくなって辞めたのではないかと思われる。月に1度くらい昼 飯を食べに行くのだが、行く前に必ず電話を入れる。店を開けているかどうか確認しないと、昼飯にありつけないからである。
その店ではカウンターに座るが、オーダーをする必要はない。黙っていても、湯がいた多めのキャベツに網焼きの肉が4~5枚、アサリのみそ汁、きゅうりの一 本漬け、それと白飯が出てくる。キャベツの湯がき具合が良く、とにかく甘い。牛肉は保存期間がちょうど良いのか食べ頃である。アサリは大きくて充分に砂を 吐かしてあり、味噌は自家製だと思われるが、香りといい塩加減といい絶妙である。それに、何と言っても、きゅうりの一本漬けが最高である。時々、女主人が 横着をして、前の夜に漬け忘れるのであろう、「ごめん、今日はきゅうりない」とそっけなく言う。その時ほど腹立たしく思うことはない。客という意識はな く、振る舞っているという感覚である。
この年になると、「あと何回食事ができるであろう」と、食い意地の張った私は思ってしまう。1回でもまずいものを食べると、とんでもなく損をしたような気 分になる。ラーメンは「長浜ラーメン」、うどんは「かな福」、カレーは「大樹」、そばは「床瀬」、天ぷらは「錦」、フレンチは「北野」、寿司は「茶々」、 ステーキは(残念ながら主は亡くなったが)「マックオー」…。数え上げればきりがない。
「明日地球が滅びるとしたら何を食べるか?」と問われたら、「う~ん」と考えてしまう。長男に同じ質問をしたことがある。彼は躊躇なく「そば」と応えた。 彼はそばアレルギーだから、そばの味を知っておきたいというのである。私は「かな福」のざるうどんか、「茶々」のトロか、まだ迷っている。
「何が好きですか?」とよく聞かれる。私は「美味しいものが好き」と答える。本当に美味しいものを口にした時は、思わず笑ってしまいますよね。