或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 エッセイ集


  88. 司馬遼太郎との出会い

もう40年以上も前のことである。私がまだ中央大学の学生だった頃に、そんなに親しい間柄ではなかった『丹羽』という男から、「香山、お前、遊んでばかり いないでこれでも読め」といって手渡されたのが、司馬遼の『国盗り物語』だった。当時2~3年読書から遠ざかっていた私だったが、それを機会に眠っていた 読書熱が呼び起こされたのである。一気に読み終えた私は、彼が住む三鷹のアパートを訪れた。今でも覚えているが、彼の部屋は薄暗く、3畳のこ汚い空間には 万年床がそのままに放置されており、ありとあらゆるジャンルの書物が山積みにされていた。その時から私の大学生活に、マージャンと落語に読書がプラスされ たのである。
司馬遼太郎は本名を『福田定一』といい、1996年2月に72歳で亡くなっている。『菜の花の沖』という小説にも書いている通り、菜の花が大好きで、彼が 亡くなってから有志の人達で開催された『お別れの会』では、参列者は菜の花を献花した。ペンネームの由来は、「中国の歴史家・司馬遷に遠く及ばず」という 意味だそうである。主に歴史小説を書いてきたが、『韃靼疾風録』を最後に小説からは遠のき、その後は「日本とは、日本人とは何か」を問うた文明批評を行っ た。1993年に文化勲章を受章している。
彼の小説はほとんど読破したが、何を一番にあげるかと問われたら、やはり『坂の上の雲』である。前段の『正岡子規』のくだりも捨てがたいが、なんといって も『旅順港』を絡めた『203高地』陥落時の『児玉源太郎』の活躍である。そして、それが日本海海戦へと繋がっていくシーンは鮮明にイメージする事ができ る。私は何度となく人前で、ウラジオストックから朝鮮半島を経て旅順港へと世界地図をなぞって、弁士の如く、日露戦争の意義やその当時置かれていた日本の 立場を語った。「天気晴朗なれども波高し。皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」。もう『秋山真之』になった気分である。
その『坂の上の雲』が、いよいよこの秋にNHKで放映される。生前、司馬遼が決して許可しなかったのであるが、奥様の同意を得て、この度ドラマ化が実現したのである。先日、キャスティングが発表されたが、それについては私の家族でも喧々諤々である。
入社式には必ず『二十一世紀に生きる君たち』を朗読している。『街道を行く』もまだ読み切っていない。私と司馬遼とのつき合いはまだまだ続きそうである。