或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 エッセイ集


  87. 六十の手習い

「四十の手習い」と申しますが、実はお茶を習っています。もう1年半になりますが、流派は裏千家です。その動機はと申しますと、これからの自分の人生をあ れこれ考えている時、どうしても《茶室》という概念が、私の脳裏から離れなかったのです。茶室を建てるのなら、自分でお茶の一服も点てたいと思ったので す。まあ、2~3年も習えば簡単なお点前くらいは出来るだろう、と高を括っていました。それが大きな間違いであり、驕りだということに気がつくのに時間は かかりませんでした。
10年位前に「初釜」と称して、知り合いのお茶屋さんから野点傘等々を借りてきて、水指や釜を飾り、立札式に会社のギャラリーで4~5年続けて執り行ったことがありました。私の感覚では、お茶碗にお抹茶を入れ茶筅で点てればいい、くらいでした。
いざ、お稽古を始めてみると、先ず正座が出来ない(座布団があると思っていた)。だから席入りもろくに出来ない。お月謝の出し方、お茶菓子の食べ方、お点 前のいただき方、もう全てで戸惑うことばかりでした。今は少し落ち着き、正座も40分位できるようになり、「お棗・お茶杓拝見」までくらいは、何とか耐え られるようになりました。帛紗捌きも、ぎこちないながらも何とかできるようになりました。
茶道と言えば『千利休』ですが、歴史的には8世紀頃、遣唐使により中国から伝わったとされています。平安時代から鎌倉時代は僧侶の間でもてはやされ、室町 の時代になり、武家達も嗜むようになりました。利休は堺の裕福な商人の家に生まれ、『武野紹鴎』に師事し、『わび茶』を完成したと伝えられています。その 後『利休居士』は多くの門人を排し、最後は秀吉と《茶の心》の決定的な違いにより、自刃に追い込まれてしまうのですが、そのわびの精神は孫に当たる『宗 旦』へと受け継がれ、『今日庵』を創設し、現代に至っています。 利休居士は様々な教えを我々に残しておりますが、それは『和敬清寂』に集約されております。お互いが仲良くし、敬いあい、清らかで、動じない心で接するこ とがまさしく茶道の心と説いております。
ほんの軽い気持ちで始めた《お茶》ですが、当たり前のことですが、未だ霧の中にいます。その霧が多少なりとも晴れるまでは続けようと思っています。5年後 か、10年後か全く見当もつきませんが、せめて《茶道》になるまで、私の「六十の手習い」は続きそうです。 明日はお稽古日です。「炉」から「風炉」に変わっているはずです。「引き柄杓」って?情けない茶人です。