或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 エッセイ集


  61. お遍路日記ⅩⅧ

一段と激しさを増してきた雨と、精神的にも肉体的にもピークに達している疲れのせいで、イライラが一層募り、意識は朦朧としてきた。五十番札所から、第五 十一番札所『熊野山石手寺(くまのざんいしてじ)』までは、わずか十分足らずの道程のはずなのに、なかなか辿り着かない。もう三十分以上も車で右往左往し ている。カーナビではとっくに到着したことになっている。私は思い余ってパーキングに車を入庫し、係員に道順を尋ねた。
彼は不思議そうな表情で、「この前です」と指で示した。
降りしきる雨の中で、右手に傘、左手には金剛杖、肩からは遍路グッズ(ロウソク、お線香、納め札、納経帳、御経帳、経本)でいっぱいのずだ袋を掛け、両脇 に立ち並ぶ土産物店を見ながらゆっくりと進んでいった。阿・吽の金剛力士像に見守られた仁王門は大きく重厚である。仁王門をくぐると、見事な三重塔が建っ ており、その横に鐘楼堂がある。いずれも国の重要文化財であり、麓鐘は国宝である。石手寺の寺名の由来については面白いエピソードがある。遍路の元祖と言 われている衛門三郎が、21回目の遍路の途中息を引き取る寸前にようやく弘法大師に巡り合うことができた。その最後の望みに応えて小石に『衛門三郎再来』 と記して左手に握らせた。間もなく伊予の領主に左手の開かない子供が誕生し、安養寺の住職が祈願で指を開いてみると、その中から『衛門三郎再来』と書かれ た小石が表れた。そこで安養寺を石手寺と名を改めたそうである。
第五十二番札所『瀧雲山大山寺(りゅううんざんたいさんじ)』までは約十キロの道程である。今度は、二十分くらいでスムーズについた。行基が刻んだ御本尊 十一面観音を中心に、左右に三体ずつ計七体の十一面観音像が安置されており、いずれも秘仏で、一般には公開されていない。雨の中、長く急な石段を上ってい く。息も絶え絶えになり、足を滑らしそうになる。登りきると、荘厳な本堂が正面に見えた。その瞬間疲れがどこかに飛んでいく。
私は雨でにじんだ納札を箱に納め、一心不乱に般若心経を唱えた。参拝者はほとんどいない。私の読経の声だけが雨に消されながらも境内に響き渡っていく・・・・・・