或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 エッセイ集


  34. 悲しい別れ

私は、このような粗悪な社屋ではいけない。住まいと云うある種夢を売る仕事に携わっている企業が、作業小屋のような建物では余りにお粗末である、何とか新しい社屋を建てたいと願っていた。
数々の問題点を解決し、やっと設計段階に入ったが、メインである1階をどうするかがなかなか決まらずにいた。そんなある日、私の友人の「ギャラリーにした ら」と云う一言で、トントン拍子に設計がはかどり、ビルの名称もB.F.B(ブライトフューチャービルディングの略)と命名し、無事竣工の運びになった。 完成はしたが、1階のギャラリーについては全くの無知であった私は、名前だけは『ルネッサンス・スクエア』と付けてみたものの、どう運営したらよいのか途 方にくれていた。
当時、私共のようなボロ会社にも学生が来てくれる貴重な大学があった。現在は姫路工業大学に統合されたが、姫路短期大学からの学生だった。その大学の学生 部長は、どうやら絵も描かれるらしいことを嗅ぎ付けた私は、当ギャラリー『ルネッサンス・スクエア』の館長をお願いに行ったのである。その先生が描かれた 絵が姫路短期大学の図書館にあることを知り、その絵を観てからお会いし、館長になって欲しい旨を心からお願いした。それが池内登先生との本格的な出会いで あった。今から十六年前のことである。
池内先生の絵は、フォトリアリズムと呼ばれ、筆は一切使用されず、全てスプレーで描かれる。『フィンランドへの回想』『メタモルフォーゼ』『誰かがよぎっ た』『黄色いマヌカン』『鏡の中の情景』『リフレイン』そして『透過シリーズ』……数え上げればきりがないが、先生の名作中の名作を思いつくままに上げて みた。そのいずれもが、冷酷ともとれる何者の侵入をも許さない張り詰めた画面構成で、一分の無駄もない世界から、知性あふれるエロチシズムが漂ってくる名 画ばかりである。画家としては余りに短い(77歳)不遇な巨匠であったかもしれない。
私の欠落していた部分を、数多く様々な分野から補っていただいた。今の私の半分以上が池内先生によって形成されたと言っても決して過言ではない。私はいつ の日か必ず池内美術館を建立すると云う思いが更に強くなった。
まさに『巨星堕つ』の観である。
2002年1月10日、私にとってもまた忘れられないメモリー日となった。悲しい悲しい別れをした……日に。