或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 エッセイ集


  33. 初めて○○を食べた日~お寿司の巻~

私の通っていた大学は神田御茶ノ水にあった。今は八王子の方へ移転してしまってそこにはない。八王子に移転するまでは所用で東京へ行った時は、時間をさいて御茶ノ水まで足を運んだものである。
私は当時、椎名町(池袋から西武線で一つ目の駅)に住んでいたから池袋まで出、そこから地下鉄丸の内線に乗り換え、地下鉄御茶ノ水駅で下車し、東京医科大 学を横目で見やりながら神田川にかかっている橋を渡って大学へ通った。途中、中央線御茶ノ水駅の前には"ウィーン"と云う名曲喫茶がある。そこで3ヶ月程 ボーイのアルバイトをしたことがある。今の学生はほとんどバイトをするが、当時の学生は余りしなかった。決して裕福だったからではなく、むしろ今よりもは るかに貧しかった。しかしバイトで時間を費やすくらいなら、食費を削ってでも何もしなくてぼやっとしているか、本でも読んでいる方が良いと云う一種の美意 識があったように思う。今の学生は生活苦でバイトすると云うよりは、自分の生活をエンジョイしたいが為にしている。我々がバイトする時は本当にどうにもな らなくなって、生きる為にすることが多かった。(決して良い悪いを言っているのではない。当世気質を言っているのである)
御茶ノ水駅から坂を下っていくと、聖ニコライ堂があり時々は鐘の音を聞くことができた。クリスチャンでもないのにしばしば心が洗われるような思いに浸っ た。一日中居ても飽きない古本屋街、一杯のコーヒーで半日も粘っていた喫茶店、大学の教室よりも長い時間を過ごした雀荘、数え上げればキリがない。その中 の一つに御茶ノ水駅に隣接して寿司店があった。今で云う回転寿司である。実家から仕送りが届いた日とか、麻雀で少々勝った時はそこへ行き寿司を食べた。当 時、一皿10円か20円だったと記憶している。大学での初任給が35,000円位だったから貧乏学生には結構高価だった。
大学を無事卒業し、父の経営する建設会社で働くことになった。社員は30名位だったと思う。各々の社員の誕生月に父である社長と一緒に食事をすると云う催 しがあった。食事の前にサウナに入り、寿司屋へ連れて行ってもらった。すると盥のような桶に入った寿司が運ばれてきた。「なぁんだ、回ってこないのか」 と、私はがっかりした。仕方なくその中の一つを口にほおばった。また一つ、また一つ・・・・・・。これが寿司?今まで私が食べてきたのは一体何?
もう30年以上も昔の話しである。もちろん、その寿司屋さんとは今でもお付き合いをしている。