或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 エッセイ集


  26. 初めて○○を食べた日~ピラフの巻~

とにかく大学生活ほど楽しかった時期はなかった。朝目が覚めれば起きて、夜眠くなれば寝ればよかった。何をいつまでにどのようにしなければならない、なん て事は皆無だった。万年床の上に置かれたホーム炬燵は机も飯台も兼ねていたし、もちろん寝具でもあり、時には麻雀台にも変身した。電化製品と名が付くもの はスタンドとラジオくらいだった。掃除はほうきで済ませたし、洗濯はたらい盥と溝のついた選択板と固形石鹸があれば充分であった。もっとも洗濯などは1ヶ 月に1度するものだと思っていたし、事実結婚をした時女房が毎日洗濯をするのが不思議だった。
仕送りのお金が底をつき始めると、ハガキ1枚でせしめたインスタントラーメンでしのいだ。(どのように"せしめたか"と云うと、官製ハガキ《当時確か5円 だったと記憶しているが》に、インスタントラーメン会社、たとえば○○食品宛に、『貴社の何々ラーメンは大変おいしく愛食しています。しかし残念な事にこ の間食べようと思って封を切ると、その中から麺と一緒にワラくずが出て参りました。』等と書いて出すと、必ず一週間以内に小包で十食分くらい送ってくるの である)さらに、田舎から送ってもらった米を炊くと、ラーメンライスが出来上がる。余程寒い日以外は下駄ばきで登校したし、詰襟の学生服を着込み、バンカ ラを気取っていた。私を唯一苦しめた期末の試験も、ヤマ感と度胸で何とか切り抜け、無事4年間終える事が出来た。
その頃私は入学時についつい美人に誘われて、下心だけで入部した華道部に籍を置いていた。流派は草月流だった。ある時、先輩のお供をして、関東華道会連盟 の会議に出席したのであるが、そこに衝撃的な出来事が待っていた。かつて見たこともない品性と穏やかさを兼ね備えた美人N子(30年以上も昔の話だが名前 も顔も未だにはっきりと覚えているが、ここではN子にしておく)に出会ったのである。彼女は共立女子大の学生でやはり私と同じように先輩のお供として出席 していた。私はありとあらゆる手段を使って彼女の家の電話番号を調べ上げ、彼女に電話をかけ、これまた奇跡的にもデートの約束を取りつけたのである。
有楽町で『風と友に去りぬ』を観て、その後食事に行った。彼女は、
「ここのピラフとってもおいしいのよ、私エビピラフを頂くわ」と言った。
私は、相当お腹も空いていたので、
「ボ、ボクもエビピラフにします。それにライスもつけて」


N子とは当然の事ながらそれっきりになった。
『ピラフ』は青春の砂を噛むような味だった。