或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 エッセイ集


  20. 初めて○○を食べた日~どぜうの巻~

最近、やたらと大学時代の事を思い出す。しかもかなり鮮明にである。私は4年間の学生生活で3回引越しをした。その度毎に、藤沢に住み運転免許を持ってい た池永に、バンを持ってこさせ手伝ってもらった。荷物といってもしれた事で、かさばる物は机とホームコタツくらいで、一往復で充分だった。
そのうち2年余りを過ごした椎名町(池袋から西武線で一つ目の駅)時代が、最も印象深く想い出として残っている。我々(私は従兄弟と同棲していた)が住ん でいたアパートは2階建てで、1階は大衆食堂になっていて2階は全部で5室あった。我々の隣は美人姉妹が住んでおり、姉は働いていたが妹は跡見学園という 短大へ通っていた。その隣は夫婦もんで旦那は売れない作家、奥さんはどこかのスーパーで働いているようだった。それでもたまに原稿料が入った時は、2年余 りで1~2回しかなかったが、果物やお菓子を差し入れてくれた。その向かいは独身のサラリーマン風の男が住んでいて、その隣は居るのか居ないのかはっきり 分からなかった。時々は灯りが点いていたのを見かけた事があったので、誰かが住んでいたのであろう。
我々が住んでいたアパートと比べ、向かいは高級マンションだった。5階建てでエレベータもあり、全部で30室位あったと思う。1階はずらりと店舗が並んで いた。そのマンションの一室に、新進気鋭で売り出し中の写真家篠山紀信と張り合っていた、満田というカメラマンが住んでいた。大変気のいい人で、麻雀もよ く負けてくれたし、入手した秘蔵のフィルムを我々の仲間に見せてくれたりもした。
ある日、満田さんが「いい仕事ができた。美味しいものを食べに行こう」と僕と従兄弟を誘ってくれた。男ばかり3人では色気がないので、マンションの1階に ある、バー『ラビアンローズ』の朱実も誘っていく事になった。早速タクシーに乗り、着いたところが浅草にある『駒形』と言う"どぜう"料理屋だった。名前 は聞いて知っていたが、我々貧乏学生がとても行けるような所ではなかった。故郷の田舎にはいくらでもいる"どじょう"が『駒形』にかかれば"どぜう"に なってしまうと感じた。駒形のどじょうだけは、今でも"どぜう"でなければならないと、思っている。