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香山草紙 エッセイ集


  115.庭儀宿

親鸞聖人は1262年に入滅された。2011年4月9日より2012年1月16日まで、西本願寺において750回忌大遠忌法要が催された。それを受けて各地の寺院でも盛大に法要が執り行われている。

親鸞聖人は、1173年に日野家の長男として生まれ9歳の時天台座主・慈円のもと得度し、仏法の世界に身をおくのであるが、そのとき詠んだ歌が『明日ありと思う心の仇桜 夜半の嵐の吹かぬものかは』として伝えられている。その後比叡山に入山し20年間厳しい苦行を積むも、自分自身の葛藤に悩み下山する。その後聖徳太子が建立した「六角堂」で百日参籠を行い、夢の中で太子が現れお告げを聴く。そのお告げに従い法然上人のもとを訪れ入門する。しかしながら時の上皇の勘気に触れ、法然上人は土佐へ、親鸞は越後へ流罪になる。その前後に「恵信尼」と出会い結婚をする。勘気が解かれた後も京都にはすぐには帰京せず、関東一円に布教活動を行う。62~3歳の頃、やっと帰京したが弟子も取らず執筆活動に専念する。その教えを簡単に記すと、釈尊の『大無量寿経』が真実の教であるとし、阿弥陀如来の本願によって「南無阿弥陀仏」と唱え、報恩感謝の念仏生活を送ることにより、浄土へ往生するという《浄土真宗》を確立した。没後10年を経過し、弟子たちにより『大谷廟堂』が建立された。

2013年10月の最終日曜日、当家の菩提寺である願寿寺において、親鸞聖人大遠忌法要が営まれた。門徒の中から私の実家が『庭儀宿』として選ばれる栄誉を戴いた。「庭儀宿」とは、そこから法要始まる重要な役割で、各寺院の法中(23人)が一同に集まり勤行の末、それぞれの法中に続いて稚児行列が開催される。稚児は200人位で、それに父兄を合わせると600人位の人数になる。実家には到底入りきれないので、会社の駐車場から稚児行列は出発した。

私の1歳にもならぬ初孫もその稚児行列に参列した。途中私が義娘に変わって孫を抱いていると、近所の口の悪い連中に冷やかされた。本堂までの距離は200メートル足らずだが、出発から最後の行列が終わるまで2時間近くかかった。本堂に安置された阿弥陀如来の周りを一周し、親鸞聖人像の前を一礼しながら、稚児行列は進んで行く。それが終わると、今度は最初に選ばれた稚児11人が、23人の法中の荘厳な読経の中、阿弥陀如来の周りを何周もリズム良く回る。時折お坊さんが【華葩】を振り撒く。

元来信仰心の薄い私でもその日は心温まる一日であった。《南無阿弥陀仏》と心の底から唱えたのは、母の葬式以来だと思った。