或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 エッセイ集


  105.中国旅行記(2)~張作霖編~

大連も瀋陽も遼寧省の大都市で、民族は満民族に属する。人口は大連が600万、瀋陽は700万である。大連の道路は放射線状に、一方、瀋陽は広い道路が碁 盤状に広がっている。どちらの都市にもタワークレーンが乱立し、30階建て以上の色々な建物が、まさに雨後の筍のように立ち並んでいる。
前日のチェックインが遅かったため、7月8日は少々ゆっくりとホテルを出発した。
まず、『故宮博物館』を訪れた。正直なところ、私は瀋陽に故宮があることを知らなかった。故宮は北京と台湾にしかないものと思っていた。行ってみると、瀋 陽の故宮こそが最も古く、なかなか趣があった。世界遺産にも登録されている。清王朝を創設した太祖ヌルハチが、明軍に大勝し、瀋陽を盛京と改名して都を構 えたが、幾多の戦での負傷がもとで亡くなると、二代目太宗(ホンタイジ)が清朝の基礎を固め、後を継いだ三代目順治帝(フリン)が明を完全に滅ぼし、北京 に遷都した。そして、瀋陽の故宮をモデルにして、北京に何倍もの故宮=いわゆる『紫禁城』を作ったのである。
『張作霖記念館』(本当の名称は『張学良記念博物館』であるが、張作霖ファンとしては、あえてこう呼ばせていただく)までは、故宮博物館から車で7~8分 であった。そこには、彼が10年足らずを過ごした自宅と執務室が公開されており、写真も何枚か展示してあった。張作霖は、浅田次郎の小説から想像していた よりも、はるかに柔和で優しい顔つきだった。やっと会えた…。確かに、張作霖はそこに存在していた…。
次に訪れた『9.18記念館』については、あまり記したくない気持ちである。1931年9月18日に起きた『柳条湖事件』に端を発し、それが満州事変へと 繋がっていくのであるが、「そのことを中国国民は決して忘れてはいけない」という記念館である。中に入ってみると、写真や等身大の人形を駆使し、いかに日 本軍が悪事の限りを尽くしたかを、広大なスペースを割いて、繰り返し見せ付けている。私は吐き気を催した。
夜は中国の家庭料理を食べ、翌日の出発に備えて早めに寝た。
7月9日、再び修学旅行のような列車に乗り、大連まで4時間半の旅についた。大連駅から大連空港までの車中で、「昔、我々が203高地を訪れた日の午後 に、日本人観光客が亡くなった」と、ドライバーがつぶやいた。ガイドは、「1年に1人はあそこで亡くなる」と言った。そう言えば、203高地には別名があ り、『爾霊山』とも呼ばれる。私は背筋に寒気を覚えた。
 

(完)