或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

香山草紙 エッセイ集


  10. 花

朝の散歩の途中で、ふと見上げると『松』の木にうすいピンクの花が咲いていた。そんなはずはないと思いよく見てみると、『松』の枝に覆い被さるようにして 『アカシア』の木があり、その花が散って松葉に引っ掛かっているのだった。まるで『松』に花が咲いているように見えたのだが、見直してみると足元にも花び らが散っていた。
私が住んでいる山崎町を縦断している中国縦貫道を車で走っていると、山中にこんなにも『アカシア』の木があったのかと思うほど、悲しげな色をした花が目 立っている。丁度、5月の連休前後に、あちこちから湧き出るように『藤』の花が咲き、山々を紫色に染めてゆくのに似ている。
先生の都合で12年近く続けていたお花のお稽古(池坊)をやめて2年になる。それからも女子社員の協力で、社内のあちこちに生け花の絶えることはなかった が、ここ半年はさっぱり見なくなってしまった。当然、私の机にはその時節のお生花や盛り花が飾ってあったが、同じく今は無くなってしまった。
想うに、花は花自身が美しいのではない。決して花は美しくない。今、会社の玄関前の花壇には『ベコニア』が植えられている。しかし、社員の中でその存在に 気がつく者は半数もいない。ましてや、きれいと想う者はさらに少ない。花の美しさは、その花を見る人の心の中にこそ存在するのである。花は、ただ存在する のみで、それを見て美しいと感じる人こそ美しいのである。
私は、『都忘れ』という花が一番好きだ。あの可憐な様子は、どんな花もかなうまいと思う。次に、『木瓜』の花であり、『梅』へと続く。畑一面に咲く『菜の 花』もまた、佳しと思う。今年は天候の不順で、太田神社の『杜若』を見損ねてしまった。何かしら大きな忘れ物をしたような気持ちである。
いくつになっても、どんな時代が来ても、花を愛でる気持ちだけは持ち続けたいものである。