或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第三部 ~すべてはお客様のために~


第一章 新しらさぎ会

姫路城は、白鷺が羽を広げて舞っているように見えることから別名白鷺城と呼ばれている。関が原の合戦後に入城した池田輝政が、9年の月日を費やして大改築 をした。その後プロジェクトXでも紹介された昭和の大改装を経て今日に至っている。勿論国宝で、1993年には奈良の法隆寺と共に、日本で最初の世界文化 遺産として登録された。その天下の名城に因んで命名したのがサンホーム兵庫の下請け協力会で、『しらさぎ会』という。
私が新光建設からメーカーの依頼を受けて、新光ロイヤル住宅に赴任した時は、新光建設八日会姫路支部という名称だった。新光建設の支払日が八日であったた め、下請け協力会の名前を八日会と付けたのである。新光ロイヤル住宅は新光建設の子会社として位置付られけていたので、法人格は違っていても協力会は一本 化されていた。今考えれば理屈が通ってないが、当時は新光ロイヤル住宅の再建のことで頭が一杯で、そんなことに構う余裕などなかった。
新光ロイヤル住宅の代表取締役副社長に就任してから7~8年経った頃だと記憶しているが、我々の意思とは関係なく、真に勝手なメーカーの意向で社名が現在 のサンホーム兵庫に変わった。それを機に下請けの協力会も新光建設の八日会から独立することになり、誕生したのが『しらさぎ会』である。設立総会に初めて 本家新光建設の八日会の会長が出席し、「なんと副社長、活気のある良い協力会やね、びっくりしました。うちも少し見習いますわ。」と言われた言葉を今も覚 えている。その会長は大変立派な人格者で、私の尊敬する一人である。今は八日会の会長も退かれ、多少体調を崩されていると聞いているが、まだまだ元気でい て欲しいと願っている。
それから10年くらい経った頃からであろうか、私はあちらこちらからしらさぎ会のメンバーについて、不満めいたものを聞くことがしばしばあった。私はサン ホーム兵庫の幹部としらさぎ会の役員を集めて、「しらさぎ会を解散する」と言った。皆はびっくりしたが反対する者はいなかった。
協力業者会は毎月20日に開催される。その席上で私は「来年の3月にしらさぎ会は解散します。そして新たに『新しらさぎ会』を発足させます。その時に『会 員』と『準会員』と『一般会員』に分けます。勿論区別はさせてもらいます。仕事を発注する順番は会員から優先します。安全協力費(工事の発注金額に対して 何%か歩ずみをし、その費用はアフター費に使ったり、年に一度の総会の費用や、現場パトロールの手当てや食事代等に使用する)の利率も資格によって異なり ます。では、会員、準会員、一般会員の資格はどのような方法で査定するかと言えば、今皆さんにお渡ししている項目によって、当社の社員が全職種全現場につ いて行います。そしてそれを持ち寄って、私も含めて関係者全員の総意で決定させてもらいます。」と言った。こうして『新しらさぎ会』は発足したのである。 新しらさぎ会に入会する時に、「80%以上出席します」、と「年に一軒は紹介します」という誓約書も提出してもらった。おかげで出席率は90%(以前は 70%そこそこだった)を切ったことはなく、紹介も僅かではあるが増えつつある。このシステムは昨年新光建設の八日会でも導入した。サンホームの時のよう に上手くは流れなかったが、今は軌道に乗りつつある。
この4月(2005年)にしらさぎ会を四つの分科会に分けた。一つが安全部会、もう一つが品質部会、今一つが紹介部会、そしてCS部会である。それぞれの 部会は試行錯誤を重ねながら、現場パトロールをしたり、現場周辺の清掃作業を行ったり、自分達だけで現場見学会を企画したりしている。今のところ私は静観 している。やり始めることが大事で、それが成果に繋がるのはその次の段階でいいと思っている。
私は業者とはフィフティフィフティだと思っている。どちらが上でも下でもない、同じ立場である。そしてその関係はパートナーでなければならない。四つの部 会が、自らの意志で動き始めたとき、真のパートナーとして正しく三位一体の企業として世間に認知され、オンリーワン企業の地位が確立されると信じている。

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