或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第三部 ~すべてはお客様のために~


第一章 社長は多いほど良い

私は今八つの企業の役員をしている。そのうち三つは社長をしており、残りの五つは会長である。社長をしている会社は、一つがサンホーム兵庫と新光建設と新 光団地である。サンホーム兵庫はご案内のとおりの企業であるが、何故あれほど嫌がっていた新光建設の社長を現在しているかと言う疑問であるが、それが今回 第三部のテーマみたいなものであるから、所々で詳細に述べるつもりである。新光団地は以前は土地の開発などを手がけたことがあったが、今はゴルフの練習場 を経営している企業である。経営と言っても実際は私と父のお遊びのような事業で、損だけはしていないと言う程度のものである。ここに来て練習場の支配人か ら退職の申し出があったのを機会に、地元の男子プロゴルファーに運営一切を任す運びとなった。
会社で最も仕事をする人のことを社長と言うと思っている。だから社長は兼任できないしすべきではない。なのに私は現在二つの会社の社長をしている。この矛 盾を一日も早く解きたいと願っている。これが私の今の最大の課題である。
会長をしている五つの企業名は、新光住宅産業、リフォーム兵庫、カーペンターズ兵庫、ガーデン兵庫、中央ホームである。五つのうち唯一代表権のある会長な のは新光住宅産業である。暖簾分けという意味と、煩い小姑を私から遠ざける狙いがあったと推測するが、私の父の大番頭だった吉田専務に社長をさせ、30年 前に設立した会社である。事業のドメインは、当時は新光建設の建築資材を調達し供給する、だった。其の後吉田社長はそれだけでは物足らなくなって、建築に まつわる工事、例えば電気の配線工事とかクロス工事とか、厨房器具やバスユニットの組み立て工事などを手がけるようになった。吉田氏が65歳(グループの 役員の定年は暗黙に了解があり65歳と決まっている。私と父は別だが)になり定年を迎えた。周りを見渡しても後継者がいなかった。吉田氏は父の五人の番頭 のうち、ずば抜けた実践力で一番番頭として長年にわたり新光建設をリードしてきた。その功績は誰もが認めるところだった。が、彼の欠点は、彼の下では人が 育たない事だった。それは多分に彼が何もかも知りすぎていて、自分で出来るものだからついつい手を出し口を出してしまったからだと思う。
彼の晩年は父とは昔のようには良い関係ではなかった。特に私の妹婿である、高橋君が父に重宝されるようになると関係は更に悪化していった。その殆どの原因 は父にあると私は断言する。吉田氏はある日私を訪ねてきて、私に新光住宅産業の社長をしてくれないかと言った。私は固辞したがとうとう押し切られ、無報酬 と月1回の経営検討会にしか出ない、ことを条件に引き受けた。少々危なっかしいが仕事が出来る、吉田氏のお気に入りで和田という人物が新光建設にいた。幸 い高橋君には疎まれていたので、高橋君に和田君を新興住宅産業に専務として迎えたいと申し入れをし、多少もったいぶった素振りを見せたが了承をした。(第 二部第二章『受注のいらない会社』参照)しかし、和田君はその後私と根本的な考え方の上でお互いに相容れなところがあり、私は彼に独立することを勧め、彼 もその道を選んだ。一時期体調を崩していたが今はそこそこ事業を展開しているようだ。
新光住宅産業の歴史をいま少し追ってみよう。その後1年ほど名目だけの社長である私と、相談役に退いた吉田氏で、誤魔化しの経営を行っていた。丁度その時 期にサンホーム兵庫である事件(第二部第三章『真夏の決断』参照)が発覚し、それを機会に山脇君を常務として新光住宅産業に移動させた。三年足らずだった が彼は彼なりに努力をし、その間念願だった社屋も新築し大いに業績も伸ばした。彼は多分高橋君と話が出来ていたと思うが、高橋君に請われて新光建設の常務 取締役住宅本部長として就任していった。その代わりと言っては失礼な話だが、新光建設に殆ど設立当初から勤務しており、私と岡山営業所で苦労を共にした平 田君を新光建設から呼び、今度は社長として迎え入れた。現在も彼が社長として経営全般を統括しているが、私は代表権のある会長で吉田氏には監査役をお願い している。二年前にグループを揺るがすような大事件(この後詳しく述べる)が起き、その事件を契機に新光工業と合併し、資本金も9000万円となり今日に 至っている。平田君は就任してから4年になるが、性格をそのまま地でいく堅実な経営をし、このたび姫路市の市街地に、ネットワーク企業の一つであるリ フォーム兵庫と合同で500坪の土地を買い求め、新社屋を建設する運びとなった。それを期に社名も変え、おそらくはニューマテリアル兵庫として新たな気持 ちで取り組んでくれると思う。大変喜ばしい限りである。
私は新光建設の社長に就任するまでは、サンホーム兵庫の事だけを考えていた。私が第一線から退く時期、その時点におけるサンホーム兵庫の姿形は?等であ る。企業のトップは、組織をその時その時もっともらしい理由をならべて様々な形態をとるが、所詮は集合と分散の繰り返しである。歴史がそれを証明してい る。私はこの10年は分散型である。分散型組織の終着が、社内分社などと言う中途半端な形態ではなく、進めたのが完全分社化である。
一番最初に分社をしたのがリフォーム兵庫で、今年(2005年)で6年目を迎える。サンホーム兵庫内のリフォーム部門を独立させたのだが、サンホーム兵庫 内にある時は殆ど収益に寄与することもなく、むしろクレームで私が借り出されることもあった。しかし不思議なもので、サンホーム兵庫では役員でもなく単な る部長だった人物を社長に抜擢すると、めきめきと業績をあげ、今ではグループ一番の収益力のある企業に成長した。社長である久保君は、若い頃は現場監督を していたが目立ったところはなく、ごく普通の存在だった。ただ一つ私の記憶に残っている事柄がある。確か冬休みに入る前のことだったと思うが、麻雀をして 朝になってしまい、その帰り道彼は交通事故を起こしたのである。ついつい居眠りをし、大型のトラックと正面衝突をし、車は大破。その車の状態を見たら生き ているとはとても思えない状況だった。しかし彼はかすり傷程度だった。私はその時彼には〔運〕があることを記憶にとどめておいたのである。
次に分社化をしたのがカーペンターズ兵庫である。部門としては二つあり、一つは工事部門であり今一つは技能部門である。工事部門はサンホーム兵庫の請け 負った受注の全ての現場管理を行う部門である。請負工事が進んでいく段階には、一口で現場管理と言っても三つの領域がある。一つは近隣対策も含めた現場管 理で、多くの職方をどのように遣い無事工事を完成させるかで、今一つは原価管理で、もう一つが顧客管理である。そのうちの顧客管理についてはサンホーム兵 庫の工事担当者が行い、その他の管理一切はカーペンターズの工事担当者が行うように分けたのである。何故そのような解りにくい分業制度にしたかと言うと、 分社化する前は全部の管理を一人の工事担当者が行っていたのであるが、その中でいくら教えても説明してもお客様を中心とした考え方が出来なくて、その結果 行動が取れない者がいて、たびたび精神的クレームを起す事があった。これはもって生まれた性格であり、ある種習慣であることに気が付いたのである。社員教 育という言葉があるが、私は最近それは嘘で社員教育なんて出来ないと思い始めている。出来るとしたら訓練であり、気づかせることくらいである。そんな理由 から、お客様視点に立てないものと立てるものに分け、立てるものをサンホーム兵庫に残し、そうでないものはカーペンターズの社員にしたのである。優秀とか 頭が良いとかでなくて、感性の問題なのだ。技能部門とは社員大工である。徒弟制度が崩壊した事実を踏まえ、当社では15年前から社員として大工を採用して いる。大工職における高齢化対策の一環である。発足当初は細田君が社長をしていたのだが、2年前新光建設の専務として移動させたので今は空白である。丸山 君が代表権のある専務として通常の業務を無難にこなしてくれている。
ガーデン兵庫と言う企業は、何気に取った社内むけのアンケートの結果を採用して創設した。社長には当時サンホーム兵庫の常務で情報管理部長の川上君が就任 した。彼は殊のほか熱心に業務を遂行し、1年目で立派に利益の出る体質を作り上げた。後に彼のお姉さんから聞いた話だが、彼は管理は本来好きではなく、住 宅が好きでこれに関わる業務に移動できたと、喜んでいたそうである。私はその逆で彼は管理畑だと思っていたのだから、付き合いが長いだけでは人の心はなか なかわからないものだとしみじみ解った。今現在は色々と紆余曲折があり、彼は再びサンホーム兵庫に戻り、常務取締役戸建事業部長として煩雑な業務をこなし ている。ガーデン兵庫の実務は赤木君が代表権のある専務として執り行っている。今年で四期目を迎える。細々とした問題点はあるが、何とかなりそうである。
社長はしてみないと解らない。95%は苦難の連続である。残りの5%に喜びを見出し、100%のモチベーションに変えていくのである。私は私だけでなく、 出来るだけ多くに人間にその苦しみと喜びを味あわせたいと思っている。内心「ざまぁーみろ」と、ほくそえんでいる『S』なのである。当初の目論見と多少変 わってきたが、ここ数年は分社化の戦略で、数多くの社長を輩出させたいと思っている。『315』というプロジェクト(この後詳しく記す)が完成するまでは 分社し、その時点で思考を結晶化する所存である。
これまでの分社化にはもう一つの狙いがあった。それはリストラである。私は人材のリストラはしないが、能力のリストラはすると言い続けている。分社は良い 処だらけである。人を成長させることは出来るし、設立された企業は上手くいくし、その母体となる企業もスリムになり、収益体質も強化される。是非機を見て やられることをお勧めする。それに私は、『会長』という響きも大層気に入っている。何せ責任がないにもかかわらず、権限『お金と人事権』だけはあるのだか ら。
少数精鋭という言葉がある。私は少数にすれば精鋭になると思っている。組織は出来る限りシンプルで小さいほうが良い。

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