或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第三部 ~すべてはお客様のために~


第一章 バイキング料理 ⑤ 営業語録

私は今でも自分がトップセ-ルスマンだと思っている。実際の営業現場は3回経験した。一度目は大学を卒業してからの2年余りと、ニ度目は26歳の時に岡山 営業所長として赴任してからの3年間、三度目は20年前にこのサンホーム兵庫に代表取締役副社長として就任し、今の資産活用事業部当時のハイツ事業部を立 ち上げたとき営業部長を兼任した時である。
一度目の時はもう少し長く営業をしたかったが、新光建設の経営顧問をしておられた、市川先生(2年前に亡くなられた)の一言で営業を止めることになった。 と言うのは、私はまだ役員ではなかったが、当時の幹部役員と私を含め4人は毎月先生のお宅へお伺いし、経営指導をして頂いていた。その席上で営業担当の幹 部が、『息子さんはよく売ってくれて戦力として大変助かっています』と言った。すると温厚な先生は烈火の如く怒り『この子は戦力ではありません、何を馬鹿 なことを言ってるのですか、この子を次の経営者として育てるのがあなた方の使命でしょう、今すぐ営業を止めさせなさい』。私はそのことが当時はよく理解で きなかった。しかし今は大変よく分かる。いい先生だった。私が最初に出会った経営の先生である。
結局最初の1年目は35棟、2年目は40棟、3年目は中途で20棟を契約した。因みに多少自慢になるがキャンセルは1棟、揉めて集金が出来なかったのも1 件で金額は135,000円だった。プレーイングマネージャーとして岡山営業所では1年間だけ第一線に立った。何故1年間だったかと言うと、営業所には当 時営業マンは4人いたが、私1人の受注実績と他の3人の実績が殆ど同じくらいだった。そこそこ受注残がたまったのを見計らって、私は全員を集めて『私は明 日から一切の営業活動はしない、ただし同行はする』と宣言した。私は岡山にいるのは当初から長くて3年と決めていた。だからいつまでも私を当てにされては 困るし、他の3人にも実力をつけてもらわないと営業所存続に支障をきたすと思ったのである。サンホーム兵庫に来てハイツ事業部で2年間鬼の営業部長を兼任 した。(第一部第一章『アパート事業の展開』参照)
それぞれの経験と知識を集約し、私のあらゆる感性を駆使し、50項目からなる営業語録を作成した。全ては紹介しきれないので2項目だけ紹介する。其の一・ 営業の出発点は第一印象にある。身だしなみ、言葉遣い、態度・・・第一印象で全てが決まると言っても決して過言ではない。其の五十・住宅営業の最後は 『愛』である。これが解るのに私は二十年かかった。君達はラッキーである。
ある時他メーカーの拠点長が転勤の挨拶に来た。プレ協で付き合いがあると言っても、転勤の挨拶に来るのもおかしな話だが、私は餞別にこの営業語録をプレゼ ントした。その拠点長からは今でも暑中見舞いと年賀状が届く。先日我々のグループで35年もの長きに渡って営業の第一線で活躍し、その間完工棟数も350 棟を超えているA氏(何処かの章で詳しく紹介する)と話す機会があった。彼はしみじみ言ってくれた。『社長、あの営業語録は本当によく出来ています、但 し、営業で成功したものにしか本当のところは解かりませんがね』。

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