或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第三部 ~すべてはお客様のために~


第一章 兎に角二十一世紀は やってきた

2000年の11月にお四国八十八ヶ所を曲がりなりに満願成就もし、分社戦略の先陣を切ってリフォーム兵庫という企業を立ち上げ、総合展示場からの全面撤 退を内外にも宣言し、それに代わる単独展示場を「あめにてぃ戦略」と名づけ展開しつつある。中長期計画も作成し、それに基づき単年度の事業計画を立て、進 捗状況をその都度確認する会議も行い、従業員持ち株制度も定着し、世の中は資産デフレで景気は余りよくないが、わが社は何とかなっていると思っていた。事 実表面上は、例えば2001年3月の第22期決算は、売上82億6千万、利益も1億5千万は計上出来たし、現金も11億5千万位は手元にあり、借入金はゼ ロ、自己資本率も45%であり、少なくとも数字の上では悪くなる予兆を感じさせる要因はなかった。また新たな戦略として『オンリーワン企業』(詳しくは後 述する)を掲げ、わが社の歩むべき指針も示したし、そしてそのとおり進んでいくと思っていた。本来ならばそんな時こそドックに入り、メディカルチェックを 受けるべきであった。愚かな私をトップに持った社員こそいい迷惑である。少し前、山一證券が倒産したとき、社長が「悪いのは経営者です。社員は悪くありま せん」と、ブラウン管を通じて叫んでおられたのを思い出し、自分自身とダブらせて、腹の底から反省するまでには2年の月日を要した。
物で栄え心で滅んだ二十世紀が終わり、多くの人間は二十一世紀を新世紀と言う事実のみで、期待を抱きながら迎えた。「少しは景気もよくなるだろう」とか、 「世の中も多少は心豊かな方向に進むだろう」とか、「ベルリンの壁も崩壊してから相当な時間も経ったことだし、世界も平和への道を辿るだろう」などと。そ れから5年が経過した今日において、我々が当時抱いた微かな希望の火を見出すことは出来ないし、むしろ遠ざかっているようにさえ感じる。出口の見えない日 本経済(750兆円の国債)、混迷する政治、地に落ちたアメリカのリーダーシップ、絶え間なく勃発するテロ、餓死する世界の子供達、等々枚挙に暇がない。 我々は、その期待が全く根拠のないものであり、只手を拱いているだけでは何一つ解決はしないことを認識するに至った。そして僅かではあるが動き出した。
私達は物心がついたころからインフレ経済の中で生活をしてきた。失われた10年とは言い古された表現だが、バブル経済が崩壊した後、気がついた頃には、デ フレスパイラルの中にいた。大局的見解能力の欠如、マクロでものが見えない考えられない、と言われたら私自身返す言葉がない。土地は上がるものだと思って いたし、資産はないよりはあった方がいいと教えられていたし、前年並みの棟数を確保すれば売上も利益も落ちる事はないだろうと(何故かと言えば1棟当りの 請負高が下がるなどという思考回路は持ち合わせていなかったし、粗利利益率が大幅にダウンするということなどあり得ないことだった。)、ただ漠然と無意識 の中で日々の経営を観ていた、としか言いようがない。全く無能で情けない話である。一番にパラダイムシフトをしなければならなかったのは、実は私自身だっ たのである。愚かな私が、少々おかしいのでは?と、感じ始めたのは2002年の夏も終わりかけた頃だった。それでも何とかなると思っていたし、現実の状態 から目をそむけ、幹部達の希望的発言をひたすら信じようとしていた。しかし経営はそんなに甘くはない。
鉄槌は2003年3月に下されることになる。
それについては、to be cotinued・・・

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