或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第二部 ~豊かさと自由を求めて~


第三章 最後のわがまま

経営者は総じてわがままである。私はことのほか我侭である。思えばこの17年間、数々の我侭を繰り返して来たものである。そのたびごとに周りを混乱させ、 慌てさせ、振り回してきたことかと思うとき、自責の念に駆られると共に、自分自身の我侭さに呆れる思いである。しかし盗人にも三分の利の例えもあるよう に、少し自己弁護をさせて頂くと、その我侭が私のモチベーションの根源になってきたのである。
数え上げれば切りがないと思うが、私のおぼろげな記憶を遡り、認識している(認識していないものをあげれば、枚挙に暇がないと推察される)事柄を順に辿っ てみると、先ず最初は自動車電話だった。サンホーム兵庫の前身である、新光ロイヤル住宅に代表取締役副社長として赴任したての頃だった。私はこの地域で最 も最初に自動車電話を申し込み、設置したのである。確か保証金が30万円くらいで、毎月の基本料金が3万円、通話料金も1秒10円だったと記憶している。 おまけに通話できる範囲もごく限られていた。当時私は、『この自動車電話のお陰で、私は年間1千万円は儲かる、時は金なりだ』と、嘯いていた。ある日私の 耳に、『あの馬鹿息子、調子に乗って自動車電話なんかつけて、そのうち会社潰すぞ、親が苦労してここまでしてきたのに、ほんまにどうしようもない奴だ』と いう風な類のことが入ってきた。私ははっとした。それもそうだと思った。考えてみれば私はこの会社の再建にきたのである、自動車電話で遊んでいる身分では なかった。私は自動車電話は取り外さなかったが、その代わり本当によく頑張り、(どの位頑張ったかというと、1年365日夜の10時より早く帰った日は1 日もないと断言できるくらい)若さと情熱で何とか会社らしくし、当時周りをはっとさせるハワイ社内旅行を敢行した。今携帯電話の普及はどうですか?効用 は?便利さは?と問いたい心境である。自動車電話は、真しく携帯電話の前身であった。
次は金もないのに新社屋を建てた。『社屋なんかは金儲けなどしない、何を考えているのか』と陰口を言われた。その新社屋に事もあろう、友人との何気ない雑 談の中での閃きと、ただ私が好きだったと言う理由だけで、ギャラリーを併設してしまったのである。騒いだのはマスコミだけだった。そのマスコミもニュース 価値が薄れると、当然のことだが取り上げなくなった。私はますます窮地に陥っていった。私は根気よくギャラリーの価値(心身ともに心豊かになり文化的資質 を高める)と使命(地域文化に貢献し全世界へ文化の発信基地たらんとする)と方向(マインドシェアーを高め我々の業務がしやすくなる)を事あるごとに繰り 返し繰り返し社員に説いて聞かせた。今では従業員の中で、少なくともその存在を認めないものはなくなったと思っている。子供の絵画展も、年末のチャリティ 展も今年で13回目を迎えた。しかしながら、経営が行き詰まれば最も最初に消される部分だと、いつもいつも不安で慄いている。『そんなことはさせるもの か』と言う気持ちがまた私を奮い立たせるのである。
大学時代に少しかじっていたのを契機に、今では脇教授と言う大層なお免状を持っていて、女子社員と一緒に習っていたお華のお稽古も、一部では不評をかって いたらしい。自分の子供が好きで部活に入っていたと言う理由だけで始めた"少年サッカー"も理解を得るのに時を要したが、今は殆ど手が掛からなくなった。 それでも11月3日には父兄と共に1,500人ほどの人が集まり、活気溢れるプレーが展開される。インフィニティと言う車に乗り換えたこともそうであろ う。よく考えてみれば社内旅行だって、自分が行きたいから海外にしたようなものだ。
私の父はゴルフ好きが高じてゴルフ場を作った。一方私はある女子プロゴルファーと所属契約をしている。どちらもその我侭さ加減には大差はないが、性格が現 れている部分でもある。プロゴルファーとの専属契約についての社内認知度は、3対7の比率で認められていないと思っている。私も彼女も、社内外で窮地に立 たされていることは自覚をしている。何とか打開策をと思っているが、今のところ彼女が成績を上げることしかないと言う結論に達している。彼女の言を借りる と、そのプレッシャーに時々は押し潰されそうになるとのことである。私も彼女も所属契約そのものに慣れていないので多少戸惑っているが、一言でいえば私の 最後の我侭と思って許して欲しい、と言う心境である。従業員の幸せも充分考え、必ず一生懸命私は経営を行うから、見逃して欲しいと言う気持ちである。
最後と言いながら今ひとつの我侭は、秘書を置いていることである。この認知度は4対6くらいかな、と思っている。たかが100億そこそこの企業で、しかも 200人足らずの規模の中小企業で秘書など必要ない、といえばない。でもこのことは私にとって本当に助かっているのだ。これだけは解って欲しい。最初は多 少は面白半分だったが、今はいなかったら正直困ってしまう。これこそ最後の私の我侭と思って、是非認めて欲しい。心からお願いする。今後余程のことがない 限り、長くても10年、短くても10年、私は経営の最前線にいると思う。その間、私は私の持っている全ての能力と、粘りと、感と、閃きと、勇気を振り絞っ て、自分自身の為は勿論、私を取り巻く全ての人の、なかんづく社員のために全身全霊を懸けて取り組むことを約束する。そして今からの10年はもう二度とこ れらの類の我侭を決して行わないことも約束する。
私は家庭人には不向きな人間かもしれないと、最近思うようになってきた。が、私は家族は好きだし最も大切にしている。考えてみれば一番家族に対して我侭 だったかもしれない。長男は2年前から当社の一員として働くようになっている。次男は未だ東京で本当に何もしないでぶらっと生きている。長女は遠く離れて ドイツのフランクフルトで声楽家を目指している。家内は趣味と地域のお付き合いの日々である。私は家内には勿論、子供達にも何一つ思い出を与えたという記 憶はない。酷い父親だと思う。でもそのスタイルはこの世では変わりそうもない。家族には大変申し訳ないが、一生我侭をさせてもらおうと、思っている。どう か甘えさせて下さい。結局最後に残ったのはここしかないのかもしれない。勝手で我侭な私の居場所は………

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