或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第一部 ~君は父親を越えられるか~


第一章 夢のハワイ旅行

昭和58年10月1日に、代表取締役に就任してから12月迄の3ヶ月間は、様々な整理に追われていたが、翌59年1月にアパート部門を新設してからは、そ の販売に明け暮れていた。60年の3月に粟倉部長に、アパート部門をバトンタッチするまで、アパートを売ることしか頭になかった。営業全員が帰社し揃うま で待ち、それから今日のミーティングを行い、明日の予定を確認し合う日々が続いていた。午前零時を過ぎることもしばしばあった。まさしく鬼の販売部長だっ た。勿論私も第一線に立ち、自ら営業も行ったし、同行セールスは毎日の日課だった。しかし、その様な事が正常な状態でない事位は、いくら経験のない未熟な 二世経営者の私でも分かっていた。
歴史上の人物で誰が最も好きかと、問われたら即座に「織田信長」と答える。信長はサイエンティストだと思っている。唯心論の時代に彼は唯物論者であった。 合理主義者であり時代の先見性は、他に例を見ない物がある。それは、彼が行った政策を見れば明白である。詳しくは又の機会に譲るとして、私にとってアパー ト事業は、彼の桶狭間に相当すると思っている。信長は、それ以来桶狭間の様な戦いは一度もしていない。まさしく背水の陣であったのである。私も、アパート 事業は背水の陣だった。それ以来、私もイチかバチかと云う戦略は現在まで行っていないし、これからもやりたくない。いや、してはいけないと思っている。
昭和60年の4月に初めて方針発表会と云うものを行った。その年度は、第七期だった。席上私は「皆さん!今年は無理ですが、来年の社内旅行はハワイへ行き ましょう。その為には以下の目標を必ず達成しましょう」とぶってしまった。社員は全員、ポカアーンとして聞いていた。ボーナスも世間並みに払えないのにハ ワイなど、夢の又夢である。喋っている私も半信半疑なのだから無理もない。えらいこと言ってしまったと、内心思ったが、仕方がない、後はやるだけだと逆に 心強くなった。
日本航空ジャンボジェット機747便は、今まさにホノルル空港へ着陸せんとしている。眠たい目を擦りながらレイの歓迎を受けた。バスで市内観光をした後、 ホテルにチェックインをした。夕食後、私は一人でワイキキの浜辺へ行き、遠くにぼんやりと見えるダイヤモンドヘッドを眺めていた。ここはハワイだった。確 かにワイキキの浜辺だった。夢ではない。私は、人知れず頬を抓ってみた。
結局次の年もハワイへ行き、マウイ島とホノルルでで2泊ずつしたのである。昨年(平成4年)久しぶりにハワイへ社内旅行をしたがあの時の感激は得られな かった。人間は贅沢になるものだと、しみじみ思った。人間の欲望は果てがないのだろうか?

■PDFで読む