或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第二部 ~豊かさと自由を求めて~


第三章 IN HAWAII

第一部第一章に"夢のハワイ旅行"と言う項目があるが、その時が最初のハワイ旅行だった。しかし、今回(1997年7月7日)のハワイ旅行は今までの単な る社内旅行の一環としてだけではなく、様々な意味合いを持っていた。以下にその時ハワイで行なった式典でのスピーチを記す事にする。
 

『21世紀のテーマ』


社員151名、そのご家族53名、しらさぎ会の会員61名、お客様28名、総勢293名の皆様、ようこそ常夏の楽園ハワイへおいで下さいました。心から歓迎申し上げますと共に、感謝申し上げます。
この記念式典には4つの意味がございます。まず、年商100億円突破です。思い起こしてみますと13年前、私がこのサンホーム兵庫に、正式には新光ロイヤ ル住宅と申しておりましたが、当時の売上は、17億3,500万で、利益は170万、借入金は2億1,900万でした。お陰様で今年3月の18期には、売 上114億5,000万、利益は7億5,200万で、借入金はゼロという素晴らしい業績を残すことができました。これもひとえに社員の深い理解と行動のた まものであり、しらさぎ会の皆様のご協力があればこそであり、本日ご出席のお施主様を筆頭に、全てのお客様の篤いご支援のお陰でございます。あらためて深 く感謝申し上げます。
2つ目の意味はと申しますと我々の念願でありました新社屋の完成です。
3つ目は(しらさぎ会)の発足を記念するものです。メンバーも以前は83組でしたが、現在は130組と大幅に増え、その位置づけもサンホーム兵庫のパートナーと致しました。
4つ目はもちろん、昨年11月度より本年3月まで行なった受注コンテストの大勝利を祝う式典です。
さて、ご存知の通り、神戸の須磨では忌まわしい小学生殺害事件が起き、金融界では野村證券と、それに関連した第一勧業銀行の事件が発覚いたしました。皆さ んはどう思われるか分かりませんが、私は、この一見全く異なったように見える二つの事件は、実は根っこの部分で同じだと思っています。
私達が今、生きているこの20世紀は、歴史の流れからすると致し方なかったのかもしれませんが、余りにもテクノロジーに走りすぎ、効率とか生産性などを追 い求め味気ない時代を作ってしまいました。特に、私達が住んでいる日本は、もっと情緒的で、もっとあたたかい国だった筈なのです。
そういう反省に立って考えて見ますと、私達が21世紀をどう生きるべきか―――という、言い換えますと生きるテーマのようなものがはっきりして参りまし た。それは、"やさしさ"であり"思いやり"であり、感謝の心であり、他人の心の痛みを知ることであります。誰に対してかと申しますと、あらゆる人種や自 然や地球や、また広くは宇宙に対しての優しさであり思いやりです。
幸い人類はこれまで幾多の危機を知恵と勇気で乗り切ってきました。わずかではありあすが、来る21世紀は"やさしさ"の時代であると、言い始めた人々がい ます。私達一人一人がそれを腹の底から認識し、私達の子供や孫達に伝承していく義務があると思っています。21世紀を生き生きとした明るい時代にする為に は、今生きている私達の責任は重いのです。最後に皆様の益々のご健勝とご多幸を心からお祈り申し上げ、ご挨拶とさせて頂きます。有り難うございました。
 

1997年7月7日

(株)サンホーム兵庫
代表取締役社長 北見 俊介

~ハワイ式典での式辞より~


もう少し細かく記すと、年商114億5,000万と書いたが、(本当に自分自身の執念深さに驚くが)今でも1997年3月期は101億で、次の98年も同 じく101億、99年も101億で、利益もそれぞれに4億5,500万だったと信じている。(3年間の売上および利益を平均するとそうなる)当時のメー カーの財務担当専務は我々が頼みもしない会計監査の報告を受け、私が意図的に行なった売上の繰り延べを見つけ、我が意を得たりとばかりに売上の修正を迫っ てきたのである。結論から言えば押し切られたのだが、私の見通し、つまり向こう3年間住宅業界は冬の時代が来るという予感がまさしく的中し、ダム経営をし ようとしていた目論見が全て反古にされるかたちなってしまった。2000年になった今もその付けを払わされているのである。
唯一歓迎すべき事柄としては、私のお父様が百億達成記念と、メーカーから我社が全国一の経営優秀企業として表彰をして頂いたのを花道として名前だけの社長 の座を私に譲ったことだった。自慢している訳ではないが、私は勿論、幹部達も私が名実共に社長になることを、一日も早く待ち望んでいた。私は絶対に引き際 だけは誤らない、実態に基づいた交代を行なう、見苦しい最後にはならない、滅びの美学を守るとその時固く心に誓った。それにしても社長の代償はいくら考え ても高すぎたと、今も思っている。
話をその当時に戻すことにしよう。私はその年の受注目標数字だけはどうしても達成したかった。売上百億は確実であったし、社屋の完成も目の前にせまってい たし、それらを記念してハワイ旅行の手形も各方面で切っていた。今更受注目標が達成出来なかったので中止ですとは言える状況でなかった。12月、1月と余 り数字が伸びなかった。2月になって多少手ごたえを感じたが、不安の毎日だった。私は3月の1日に
「今日から私が毎日受注の締めをする。そのやり方はファックスで行う。各出先のチームの責任者はその日の成果と行動と、明日の予定を私の専用ファックスま で送ってくること。それに基づいて必ず朝君たちが来るまでに私の感想と指示を書いて送っておくからそれを見て行動するように」と言い、その1ヶ月間部長以 上の職制を廃止し、弱そうなチームの責任者として臨時に任命したのである。
私は毎日送られてくるファックスを丁寧に読みその返事を書き送った。送られてきたファックスを束にして、私の部屋の壁に日付ごとにピンで止めていった。月 も半ばを過ぎ終わりにさしかかるころには勝利を確信した。と同時に私の部屋は13の部署から送られてきたファックスの山でいっぱいになり、窒息しそうに なった。
3月31日の夕礼はまだ新館が出来上がっていなかったので、例年のごとく1階のギャラリーで行った。ギャラリーの壁に送られてきたファックスを一枚一枚ピ ンで留め、その中で私は、心から全社員にお礼と感謝を述べ、『私は本日を境に今日食べる米についてはもう心配しないことにしました。皆さんにお任せするこ とにしました。明日食べる米について心配することに私は専念します』と話した。事実1997年を合い前後して、95年,96年,98年,99年,の5年間 は全て目標を達成してきた。今度こそ私が目指した『後戻りのしない経営』が完成されたと確信したのである。しかしそれが間違いだと気づくのであるが、その ときまで3年の月日が必要だったなどと、当時は知る由もなかった。真に経営とは難しく厄介な代物である。経営はこれでいいと言うことはない、終着駅もな い、まさに人生そのものである。

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