或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第二部 ~豊かさと自由を求めて~


第三章 プロジェクトあれこれ

~コンピューターを考える会&使う会~


私の肩はもう凝りに凝っていた。かれこれ1ヶ月近くパソコンとやらの前に座ったまま、ワープロ、今で言うワードと取っ組み合っていたのである。何とかマス ターし女子社員に伝授し、この会社におけるいわば情報機器即ちコンピューターを広めた草分け的存在は、実は私なのである。14~5年前の話である。現在は と云うと、新入女子社員にさえもその使い方を尋ねている、情けない草分けなのである。
ちょうど4年前に"コンピューターを考える会"を発足させた。それまではと言うと、古い大きなオフコンが1台と、アパート事業に必要だったパソコンが1台 と、ワープロが各部署に大体1台ずつくらいの割であった程度だった。住友銀行の支店長である亀岡氏(私と唯一気が合いこれからも出来得れば、例えば私が塾 を開校した時に講師として来てもらいたいくらい、お付き合いをしたいと思った人物)に、コンピューターに詳しくて且つコンピューター馬鹿でない、優れたコ ンサルタントを紹介して下さいと、大変虫のいい依頼していたのであるが、それにぴったりの人物が日本総研からやってきた。彼は後に野村総研にヘッドハン ティングされていったが、彼との出会いがなければ当社でこれほどコンピューターが普及しなかったであろうし、我々の身体の一部には到底なっていなかったと 断言できる。彼のお陰で、"コンピューターを考える会"はたった2回で解散し、新たに"コンピューターを使う会"を発足することができたのである。
それから今日に至るまで当社は、弱小企業にしてはトントン拍子にOA化が進み、今では80台以上のコンピューターが導入され、2人に1台くらいの割で使用 されている。当初の目的がほぼ達成されたので、平成10年3月でいったんこのプロジェクトは終わる事にした。それでも約2年半の年月を要してしまった。ど うしても記しておかなければならない事の一つに、今は結婚を期に辞めてしまった村松女子の議事録の素晴らしさである。簡潔であるが克明で、実に臨場感溢れ る良い議事録だった。今読み返してもその時の様子が鮮明に思い出される。
プロジェクトチームといっても、大企業のようにそれにかかりきりという訳には我々中小企業ではいかない。当然自分の本業と平行して行なわなけれていく。プ ロジェクトの運営は私の仕事の中で大きなウエイトを占めているが、メンバーにとっては余分な業務が増えるのだからたまったものではない。しかし、我社に少 しだけであるがプロジェクトのメンバーに選ばれて初めて一人前の社員として認められた、と言う文化が生まれつつあると私は思っている。
プロジェクト運営を成功させるコツは、先ずメンバー選びにある。コンピューターの場合は希望者を募り、その中から選出したのであるが、人数は"すまい"以 外は12人と決めている。何故かと言えば英米法における陪審員の人数がそうだからである。そして我々は大変重要な事をしていて、結果は会社を左右しかねな いと思わせる事である。次は予め終わりを決めておくことも大切である。時期もそうだが終着駅は必ず自分自身の中で決めておかねばならない。その時メンバー には決してその終着駅を示してはならない。あくまで自分達で考えたと思ってもらわないと成功はおぼつかないのである。そこへ到達するまで私はひたすら待ち 続けるのである。否定も肯定もせずにただじっと堪え、私が当初に意図した結論に至るまで、獲物を狙う豹のように待ち続けるのである。それらの事柄と平行し ながら社内PRをメンバーにさせるのである。PRが社内に行き届いたらもう成功したようなものである。そんなまどろっこしいことをしないで、所謂リーダー シップを遺憾無く発揮して、『今度これをやるからみんなついてこい』と言えばよさそうなものだが、それで人はついてきたりしない事を私は厭と言うほど味 わってきたのである。私のようにリーダーシップもカリスマ性もないものにとっては、実はこのやり方しか出来ないのである。
幹部達から順にコンピューターを与え使わせたこともあって、このプロジェクトは上手くいったが、全て成功するとは限らない。本当の秘訣は'遊び心'かもしれないと、最近思うようになった。
 

~502プロジェクト~


今までに様々なプロジェクトを発足させ展開してきたが、何一つ成果を上げることなく全くの無駄になったプロジェクトに"0ベース改革推進"がある。それは 何が原因で失敗に終わったかと言うと、私の怠慢である。もう少し解かりやすく言うと、他人(0ベースは井上常務と川上部長)に任せきりで、区切りの時しか 私が出席しなかった事が尤も大きな原因だった。その教訓を生かす為にもそれ以降のプロジェクトは、一応リーダー(役員又は部長クラス)はいるが何一つ任せ てはいない。本当は余り良い事だとは思っていないが、承知の上で全てのプロジェクトを私自身が進めている。それが原因で人が育たないのだとは分かっている のだが、現在の状況を考える時、我社にとって致し方がなく、そのやり方が現況と合っていると思っている。
"0ベース改革推進"のプロジェクトが成功していたら、行なう必要がなかったプロジェクトが実は"502"だった。"0ベース改革推進"という名称を私は 大変気に入っていて大好きだった。しかし失敗した名前をもう一度使うのは気が進まなかったので、苦肉の策で"502"と名づけた。その由来は、前著「ある 二世経営者の挑戦」のなかで、示したサンホーム兵庫としての最終目標数字が読者の記憶にあるかどうかは知らないが、『50人で200億の売上』を掲げてい る。それを単に捩って"502"としただけである。その一環として、当社の中で最も遅れている部分、即ち人事評価のシステムを創り上げる目的で、以前ビジ ネスコンサルタントにいて、諸事情の為退職し独立された柳本氏を迎えて、平成8年6月に発足させたのである。
がしかし、3ヶ月4ヶ月と経過していくにつれ、柳本氏と川上部長(今度こそ川上部長の汚名を晴らす機会を与える為再度リーダーに起用した)とメンバー(川 上部長と考えに考えて選出した我社においてはそこそこ優秀とされる)が、どうも上手くいかなくなってきた。どこがどうという訳ではないが、しっくりいって いない雰囲気を感じた。私は、柳本氏と川上部長に席を外してもらい、メンバーにヒアリングを行なった。彼らの言い分はこうだった。「川上部長も柳本先生も 余りに急ぎすぎていて、副社長が居られる時はそうでもないのですが、居られない時は我々の意見や考え方など無視し、自分達の思うように進められるので、 我々は何の為に時間を費やして出席しているのか解かりません。だからついつい黙ってしまうのです。このままでは面白くありませんし、止めたいくらいです。 何とかして下さい」彼らは重い口をやっと割いて私に訴えた。私は、柳本氏にはご遠慮願うが、その後は君たちで創り上げる事を約束してくれるかどうかを尋ね た。彼らは副社長となら大変かもしれないが、頑張って創り上げると言ってくれた。私は、道半ばもいってなかったがコンサルタント料の半額を支払い、柳本氏 にはご遠慮して頂いた。
私は先ずコンセプト創りから始めた。何の為にこのプロジェクトを行なっているのか、お互いの気持ちの中で明確にしておく必要があると思ったからである。約3ヶ月コンセプト創りに費やした。
『この評価システムは、FR宣言を実現する為に構築されたものであり、ヒューマンネットワーク創りの根幹を成すものである。施主満足を前提に、問題意識を 共有化し、他人の事を思いやる人を優遇する評価体制で、目標・行動・能力の三分野で評価し、公平性を高める事により、個人の行動意欲を向上させ、個人が成 長する事で、組織が活性化する事を目標とする』をコンセプトとし、新人事評価システムと名づけた。
コンセプトが出来上がると70%出来上がったようなものである。しかし実際は完全に立ち上がり、実際に運用するまでには9ヶ月の歳月を要してしまった。途 中、男女雇用均等法の絡みもあり、我社においても女性蔑視の傾向もあったので、この際に是正しおこうという事になり、アンケートを基に、私自らが全女子社 員に説明をし、多少のこじつけもあったが大体の所で納得してもらったと思っている。当初の予定よりは6ヶ月以上も遅れてしまったが、平成9年10月に『新 人事システム』は完成し、同時に"502プロジェクト"を解散した。
 

~住まいを考える会~


私は浜松にあるサンホーム静岡の富田社長と、3時間余り話をし終えて新幹線で姫路に向かっているところである。実は少々ショックを受けて落ち込んでいるの である。なぜかと言えば彼の経営に対するひたむきさと、住まいとはどうあるべきか?について本当に真剣に考えている真摯な態度に心を打たれたのである。経 営については私も多少自負するところはあるが、すまい、特にハード面に関してはほとんどと言っていいほど無関心だった。そもそもその分野はメーカーの仕事 であり、我々は与えられたものをどのように売るかだけを考えておればいいと思っていた。
私は帰るとすぐさまプロジェクトチームを編成した。新幹線の車内で既に人選はしていたのだが、今回だけは誰か部外者1人を入れたかった。誰か適当な人物は いないか、と見渡してみると、以前2~3回現場を一緒にさせて頂いた神山設計士を思い出した。すぐさま連絡をとりお願いをしたところ、快く引き受けて下 さった。こうして第一期"住まいを考える会"が発足したのである。
最初の半年くらいは、明けても暮れても、「住まいとは?」「すまいとは?」ばかり議論していたが、我々はかなり行き詰まってしまった。そこで視点を変える 意味も含めて、神山氏が設計された住まいを見学したり、美味しいものを食べたり、ちょっと小旅行をしたりして、気分転換を図った。そんな中からこの第二部 の冒頭に掲げ、この二部のテーマでもある《FR宣言》が誕生したのである。すなわち、すまいとは創り出すものである、と言う哲学が出来上がったのである。
哲学が出来上がればもう半分以上完成したようなものである。それに基づいて取捨選択をし、合うか合わないかで判断し、出来るだけ具体的に表せば良いのであ る。それはもう作業といっても良い。こうして以前から取り組んでいる'タイプ別カウンセリング営業'をよりビジュアルに具現化した、4種類の自社制のカタ ログが出来上がったのである。私はメーカーから一切のカタログを買う事を禁止した。事実、3年間くらいは買わなかったと思う。最近は、ここ数年住宅を取巻 くハード、ソフト両面に於ける性能やライフスタイルを含めた環境の変化に対応し切れないとされ、あまり活用されなくなり、メーカーの綺麗で高いカタログを せっせと買っているようである。本当は根本的には充分対応出来るように創ってある。使い方としては、我社のカタログをメインに、メーカーのカタログをサブ にすれば良いと思っている。
自社カタログを制作してから2年くらい経過して、"二十一世紀の住まいづくり"と称してまた新たに住まいに関するプロジェクトを再開させた。以前のメン バーに今回は新しくどうしても大学の教授を加えたかった。その紹介を分野の違う2人の人物に依頼していたが、その両方から挙がってきた名前が偶然にも同一 人物だった。私は即その教授にアポイントメントを取りお会いして、私の思いや会社の方向性について心を開いてお話し、このプロジェクトに是非尽力を賜るよ うにお願いをした。私と中田教授との出会いだった。
最初の1年はユニバーサルデザインの概念と専門的知識の学習に費やした。次の年には5つのコンセプトからなる、即ち、『健康』『自然素材』『たまり場』 『コミュニティ』『バリアフリー』をテーマにした'次代に伝える住まい'と称して、社にモデルハウスを建て、広く内外に問題提起が出来たと思っている。
あっと驚くようなモデルハウスを完成させた我々が、今取り組んでいるのは、近未来の共同住宅はどうあるべきかというテーマである。これもこの3月(平成 12年)には何らかの答えが出そうである。スケジュール的には少しの間お休みをして、再々会をする時に取り組むのは、街づくりがきっとテーマになると予想 している。私は、それをユニバーサルシティと早々と呼んでいる。夢のあるいい街を創りたいものである。
 

~FNA情報システム~


前著ある二世経営者の挑戦113頁に詳しく記しているので、ここでは出来るだけ重複しないように書くことにする。
思えば導入を決意し、プロジェクトを結成してから丸8年が経過しようとしている。そう言えばこのプロジェクトは、我社にとってプロジェクトの草分け的な存 在である。これがそこそこ上手く動き出したお陰で味を占め、何か新しいシステムや、一寸先の事(我社では明日食う米といっている)を考えたりする時には、 馬鹿の一つ覚えの如くプロジェクトを結成し取り組んでいる。命令一過、で物事が進んで行くのが一番いいのだが、現実は中々そうは行かず、莫大な時間とコス トをかけている。それがサンホーム兵庫の規範になってしまった今、変える事は出来なくなってしまった。私自身の弱さがそこに現れている。しかし一つだけい い所がある。後戻りしない事である。目をみはるように効果としては現れないが、継続して行なっている分には、僅かではあるが前に進んでいると思っている。 少なくとも後退はしない。肥料で言うなら堆肥のようなものである。
FNA会員は2000年1月31日現在、807名の方に入会してもらっている。情報誌『今が旬』の発行も80回を迎えた。今後の課題としては、何時の時点 でファックスからパソコンに切り替えるべきか、と絶対数の確保と、アライアンスにどう展開していくかである。まだまだ道遠しである。
 

~2001~


もともとこのプロジェクトは、西暦2001年に株式を上場する事を目的に、平成10年に発足したのである。幹事会社を予定していた野村證券のグループ会社 の一つである野村IRから、1人はマーケティングのスペシャリストと、もう1人は元アナリストの2人の専門家に来てもらい、1998年5月8日に第1回目 を開催した。それから約1年間
① 株式公開とは?
② 株式公開のメリットについて
③ 新規公開会社の経営者の反応は?
④ 株式公開の留意点
⑤ 株式公開会社の責務とは?
⑥ 株式公開のスケジュールについて
⑦ 公開する為にはどのような準備が必要か
⑧ 上場基準とは
⑨ 株式市場をめぐる昨今の環境変化について
等々について我々は文字通り勉教をした。
知識だけは充分詰め込んだが、すぐそのための準備に取り掛かれるかと言えば、くぐらなければならない関門は山ほどあった。その中でも最大の難関は、メー カーの同意だった。私は直接メーカーの社長に会い、協業会社の現実や方向性を絡めて、久しぶりに熱い思いを訴えたが、答えは『ノー』であり、その説明も大 変事務的なものだった。つまり、メーカーと協業会社との基本契約において認められていないし、メーカーの内規でも禁止事項になっているとの事だった。
「北見さん、第一それだけの時間と労力とお金をかけるほどの価値はないと思いますよ。上場したらしたでいろんな対応をしなくてはなりませんし面倒くさいですよ」
と、おっしゃられた。私はその時ほど、私自身の無能力さをひしひしと感じ、惨めに思った事はなかった。返す言葉も無く、私は千里の本社を後にした。姫路ま での道程をこんなに長く感じた事はなかった。辛く情けない一日だった。
私はそのことをありのままメンバーに伝えるには忍びなく、時期尚早という便利な言葉で説明をし、来るべき上場に備えて資本の増資をすることにした。当時 (平成11年2月)サンホーム兵庫の資本金は4,500万で、その持ち株比率は、メーカーが48%で、新光建設が48%だった。残りを我々5~6人で持っ ていた。メーカーの説明では、オーナー会社で真面目に経営に取り組んで頂いていて、且つ業績的にも問題の無い協業会社については、資本金の持ち株比率に拘 らず、40%までなら譲歩してもいいとの事だった。私はすぐさまその準備に取り掛かった。応募の状況如何では最大まで、つまり4,500万の4倍、1億8 千万にしても良いと思っていた。先ず社員としらさぎ会(サンホーム兵庫の分かりやすくいえば下請け協力会、我々はパートナーとして位置付けをしている)に 応募を募った。しらさぎ会については出資の上限を百万円にし、新光建設について今回は増資をご遠慮願ったのにもかかわらず、出足は好調で1億8千万に迫る 勢いだった。業績はたいした事ないが人気だけはあるな、などと言いながら着々と事は進んでいった。しかし11年の6月頃にまたメーカーから、待ったの声が かかった。
「社員が株主になるのはいいが、しらさぎ会の会員は認められない。但し社員についても取締役は個人株主となるのはいいが、その他は従業員持株会を作り、そ れに基づいて運営する事。また持ち株比率を8%下げる件については、メーカーの大株主の2社から役員会でクレームがつき、失権すると言う事はしいては株主 に損害を与える事になり、認める訳にはいかない。下げる場合は、時価で相当する分を買って頂きたい」との事だった。
時価で買い取ると言う事は、我社において単純に計算しても約30倍になる。資本金を倍額、つまり9千万にしたとしても、額面7百万が2億余りで買い取らな くてはならなくなる。実質上メーカーの答えは「NO」である。私はせめてしらさぎ会の会長が株主になる事と、部長以上が個人株主になることだけは認めさ せ、社員の出資希望額を大幅に下げて貰い、増資後の資本金を9,945万円にする事に決定し、当初の思惑とは全く違った方向になってしまったが、平成11 年10月1日に全ての手続きが完了した。それにつけてもモチベーションを下げるのが殊のほかこのメーカーは上手だとつくづく感心した。私は私自身と、宇宙 にこの借りは何年かかっても必ず返すと、誓った。私の執念深さを何年かたって彼らは知るはめになるであろう。
上場と増資の問題が概ね見通しがついたのを契機に、この"2001プロジェクト"は中長期の事業計画を立案するプロジェクトにシフト替えをした。読者の中 にはこの企業には中長期計画もなかったのかと、思われる方もいると思うが、なかったのである。但し私の中にはあって、それを今回はただメンバーが引き出 し、どうしたら分かりやすく出来るだけ多くの社員に認識してもらえるか纏め、表そうとしているのである。まだ(平成12年2月現在)完了していないが、4 月の22期方針発表会で示すつもりである。内容は三部作になっており、一つは事業戦略面からであり、もう一つは財務体質についてで、今一つは福利厚生面か ら考えた中長期戦略とはどうあるべきかを模策したものになっている。その根底に流れる目標理念は、言うまでもなくFR宣言の実現である、'豊かさと自由' の享受である。数字的には、2005年に200億を目論んでいる。
良い格好を云っているが、事実今期(21期)は私の読み間違いで大変苦戦している。その理由や私の甘さについてはどこかの章で詳しく記すが、つくづく経営は解からないものであり生き物である。
 

~伝説のサービス~


私の手元に1冊の書籍が舞い込んできた。アメリカの企業である『ノストロドーム社』のサービス戦略を記したものだった。私は目の前の霧が晴れる思いがし た。私は、情報とは集めるものではなくて、集まるものだと信じているタイプの人間なのだ。自分が本当に心の底から欲し願い、且つ真剣な問題意識を持ち続け ているなら、ひとりでに向こうから情報はやってくるものなのだ。それらの無い者が必死で集め回る情報などたかが知れているし、殆ど使い物にならない事が多 い。
例によってすぐさまプロジェクトチームを編成することにした。今回は細田常務をそのチーフにし、彼に趣旨を良く説明し人選を任せた。平成9年6月17日に 第1回の会合を開いた。実は今だから言うが、このプロジェクトの落し場所は私の中では開催前に既に決まっていて、そこまでどうやって辿り着くか、いつまで に到達出来るか、だけが課題だったのである。私は気長にただひたすら待つ事にした。
先ず2つのグループに分け、それぞれに①伝説のサービスとは?②今現在の業務における見直すべきサービスとは?と言う課題を与え議論をしてもらい、それを 持ちより、何度も何度も擦りあわせを行なった。そのプロセスの中で、『人生の時々において、サンホーム兵庫と言う組織が愛と情熱を持ってサービスを行ない 続ける事により、人間本来が持っている潜在的欲求が満たされ、そこから生まれるサービスは伝説化されていく』というサンホーム兵庫におけるサービスのコン セプトが出来上がった。コンセプトが出来上がれば、それに基づき合うか合わないかでやるべき事を取捨選択し、誰がいつまでにどのような方法で行なうかを決 めれば、大体は上手く行くものである。
まず改善すべきサービスとして彼らは電話の応対を取り上げた。実際の現場でどのような電話のやり取りがなされているのか、調査を行なう事にしデータを取 り、それに基づいて対策を立てた。『渦巻き作戦』と命名し、プロジェクトのメンバーひとりひとりがチーフとなり、自分の身近な仲間、3~4人を選び、彼ら を啓蒙する事から始め、それをどのようにして行動へと結び付けていくか、チェックシートを作りそれを活用し、3ヶ月の期間を設けやってみた。
一応の成果を見たので、次のステップとして全社員に対し、サービスの意識に関するアンケートを取る事にした。21項目からなる具体的なサービスを掲げ、職 種別に回答させ、自分が行なってみたい項目を3つ記してもらった。集計しそれを参考資料として、真の伝説のサービスとは何かについてまた色々と議論を重ね た。多少の紆余曲折はあったが、『くらしのJAF』と既に何回か行なってきて一部からは好評を博している『すまいのお手入れ講習会』の関連や整合性につい て議論をしている時に、誰かの口から『サービスの宅配』という言葉が出た。私がその言葉を聞き逃す筈が無い。このプロジェクトを開催する前から待ちに待っ た結論そのものだったからである。私は、
「それは面白い。サービスの宅配か!素晴らしい、これは絶対伝説になる」と、絶賛してみせた。何とここまで到達するのに1年半の歳月を費やしたのである。
随分忍耐強くなったのもである。私はこれまでに当然の事ではあるが、数知れない施策を打ってきた。その大半が失敗であったが、上手く行っている事もある。 それを少し冷静に分析してみると、失敗のうちの殆どは、私の独断専行であり、1人よがりが原因だったように思う。誰かのアイデアであり発案であるかのよう にしたほうが、一見遠回りのように見えても、結果として実は近道なのである。またプロジェクトを成功させるコツでもある。私は、獲物を狙うライオンのよう に、息を潜めてただひたすら待ち続けるのである。
『サービスの宅配』とは一体どのようなものか簡単に説明すると、私共で家を建てて頂いたお客様にお願いをして、お客様のお友達かご親戚でも構わないが、数 人集めて頂き、お客様のご自宅をお借りし、実演をしながらすまいのお手入れ講習会を行なうのである。その際当社からは、担当の営業とサービスマンとプロ ジェクトのメンバーないし女性社員が出席し、最初に趣旨をお話した後、網戸の張替えとか、クロスのはがれの修理とか、水道の水漏れとかを直し、その原因に ついて説明し、出席されているお客様のご友人のすまいに、もし不都合な所があれば即座に直してあげるのである。勿論無料である。準備するものとしては、 サービスマン必携の小道具一式とお茶菓子。お茶菓子をいただきながら、やわらかな雰囲気の中で、約3時間ほどの時間をかけて行われていく。最後に参加者全 員にアンケートを書いてもらい、それで終わりである。たったそれだけの事かと言われれば、それだけの事である。でも私は信じているのである。このサービス は伝説化すると。21世紀になっても充分通用システムであり、戦略であると。
今現在は(平成12年4月)もう少しかっこ良く"デリバリーサービス"と名づけて、今期(22期)の目玉戦略であり、この度初めて発表した中長期戦略の根幹を成している戦略の一つになっている。

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