或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第二部 ~豊かさと自由を求めて~


第二章 二回目の弔辞

人間50年…とは信長の時代のことで、今は21世紀を目の前にした平成の世。
今ここで私が、あまりに早い貴男とのお別れをしていることが、夢か幻のようで、全く信じられません。思えば貴男とは、20年以上の長きにわたって、いいお 付き合いをさせてもらったと思っています。かけがえのない友人として、仕事では良きパートナーとして、又ゴルフでは永遠のライバルとして、楽しい思い出ば かりです。いくら考えても、不思議に辛いとか苦しいという出来事は何一つありませんでした。貴男はそういう雰囲気を持った人でした。多くの人を安心させ、 楽しくさせ、明るくしてしまう人でした。それが証拠に、貴男の周りには絶えずあらゆる階層の人が集まっていました。数多くの友人が、いつもいつも貴男と一 緒でした。私はこれまでただの一度も、貴男の陰口や悪口を聞いたことがありません。私が2年前の夏に入院した時、貴男は忙しい合間をぬって、何度も何度も 見舞ってくれました。でも実はその時に、すでにわずかですが貴男を病魔が侵していたのですね。私は自分の体のことばかり気を取られて、貴男の身体を気づか うことができなかったことが申し訳なくて、悔しくて仕方がありません。貴男の、
「最近、歯が悪くて物が噛めへんし、飲み込みにくうて困っている」とか、
「体重が7キロくらい減って、見てくれこんなに腹がへっこんで」などという会話から、貴男の身体の異変に気付くべきでした。今はもう貴男に対して、ただただ申し訳ない気持ちで一杯です。お許し下さい。


仕事では、
「副社長、最近現場ようなったで、わしらは一番あとからまわるで、よう分かるんや。2~3年前と比べたら雲泥の差や」
と貴男に褒めてもらった時は、私は本当に嬉しかった。貴男は最後の最後まで、仕事のことを心配して、息子さん達や奥さんに話しておられたそうですね。私が 生きてこのサンホーム兵庫の経営に携わっている限り、何一つ心配しないで下さい。貴男を不安がらせるようなことは決していたしません。どうか安心して下さ い。これは皆様の前でお誓いいたします。


1年前、
「何や、その声、どないしたんや」
「昨日くらいから声が出えへんのや」
という会話をしながらゴルフをしました。それから貴男は、沖縄旅行に行かれ、帰ってくると同時に入院され、4月に手術をされました。7月に退院され、12 月11日に一緒にラウンドしました。それが貴男との最後のゴルフになるなんて、思ってもいませんでした。
暖かくなったら又行こうと言っていたのに。貴男は、何のために上月カントリーの会員権を買ったのですか?私は貴男が良くなることを信じきっていました。そ して何よりも楽しみにしていたのは、今年の7月に計画していたハワイ旅行でした。是非、奥様と一緒にゴルフをしようと約束していたのに。貴男が初めて破っ た私との約束になってしまいました。
生あるものは、必ず滅びます。もちろん私もここに参列しているすべての人も。でも、でも余りに早すぎます。いくら神様が、
「高原君、この世での修行は、もういいよ」
と言ったとしても、それは不平等すぎます。私は残念ながらお酒が飲めません。だから、貴男と飲み明かした、などという思い出はありません。それが唯一残念 で心残りです。今度貴男と出会うまでには、少しはお酒が飲めるようになって貴男と飲みたいと思っています。21世紀になって、どこかの街角で
「おい」
「おい」
互いに声を掛け合いながら……


誰からも愛され、親しまれた高原君。
私は一生涯、貴男のことは忘れません。だから貴男も私のことをいつまでも忘れないで見守っていて下さい。
名残はつきません。本当に名残がつきません……でも、
さようなら、高原君。
さようなら、タカハラ。
アリガトウ、タカハラ。

株式会社サンホーム兵庫
代表取締役 北見 俊介


彼は49歳という若さで亡くなった。喉頭癌だった。仕事は、洗い屋、つまり家が完成しお客様にお引渡しをするのだが、その前に綺麗に掃除をする業者で、サ ンホーム兵庫の協力業者会である"しらさぎ会"の理事をしていた。弔辞にも書いていたとおり、彼を悪く言うものは誰一人いなかったし、同時に彼が他人を誹 謗するのを私は一度も耳にしたことはない。彼は昨今では本当に珍しい"いい奴"だった。今見渡しても彼のような奴は私の周りにはいない。
こんな事を言ったら彼の家族に顰蹙を買うかもしれないが、私は彼の命を、彼の半生を受け継いだと思っている。彼の命が亡くなる前3年ほど、私は体調を崩し ていた。実は誰にも言わなかったが、癌かもしれないと悩み続けていたのである。病院へ行くのが恐くて色々と理由をつけて逃げ回っていた。その頃吐血し入院 したのであるが、それを境に私は見違えるほど健康を取り戻し、今に至っているが、彼は2年後の2月に亡くなった。私は彼から受け継いだ命を大切にし、彼の 分まで、出来得る限り世の中のために、他人のために、又自分を含めた周りの身近な人のために、一生懸命生きようと思っている。日は決まっていないが、年に 1~2度は彼の墓参りをさせて頂いている。彼はいつもにこやかな笑顔で私を褒めてくれる。その瞬間私は時間が止まるのを感じる。


~彼へのメッセージ~


貴方がこの世で最後にゴルフをしたパートナーが、私だった事を今はとても誇りに思っています。次 に会ったときもやはりゴルフをし、その時は約束通り美味しいビールを飲み合いましょう。そして色んな話を聞いて下さい。楽しみにもう少しだけ待っていて下 さい。そうそう言い忘れていましたが、貴方はもう知っていると思いますが、貴方が亡くなった年の7月に、サンホーム兵庫の20周年と年商百億達成記念を兼 ねて、しらさぎ会の人たちと一緒にハワイへ旅行しゴルフをしたのですよ。勿論貴方の奥さんとは初日一緒にラウンドをしました。貴方の奥さんは貴方の写真を 持ってきていましたよ。私はと言うと、もう泣きながらラウンドをしていました。
今は1999年。暑かった8月が終わり9月も半ばになろうとしています。何事もなかったかのように時は流れていくのですね。

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