或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第二部 ~豊かさと自由を求めて~


第二章 忘れられない一言

「井村君、昨日のことだけど、君が当社に出向で来てからどのくらい経っているかくらいはよく知っているで」と、皆のいる前で他の社員に聞こえよがしに言った。瞬間、彼の顔からは血の気が引くのが判った。
私は、現場見学会(住まいが完成しお客様にお引渡しする前に、2日間ほどお客様の家をお借りして一般に公開し、我々が今お話を進めているお客様に来て頂き 観てもらい、より具体的に商談を進める目的と、新たな見込み客の探客の為に行なう催し物)には出来るだけ足を運ぶようにしている。何故かと言えば、小説' 坂の上の雲'を実践しているのだ。
乃木大将がどうしても落とせない旅順に、業を煮やし、児玉源太郎が駆けつけてみると、馬鹿な参謀伊地知は、戦の前線を見たことがないと云うのである。児玉 はその訳を聞いてみると、前線を視察するとそれに惑わされて作戦が狂ってしまうと言うのである。そして相も変わらず突撃作戦を繰り返し、全く無駄な死人の 山を築いていたのだった。呆れ返った児玉は、伊地知参謀を解任し、日本と云う国を守る為に、一人でも多くの命を救う為に、軍法会議を覚悟の上で、乃木に、 「一時俺に乃木軍を預けろ」と迫ったのである。乃木も己の命を代償に承知するのである。児玉は早速前線を視察し、旅順を落とす前に203高地を落とすこと を悟り、3日で203高地を落とし、指揮権剥奪から1週間で旅順を陥落させ、何事もなかったかのようにさっさと大山元帥の待つ本隊へと帰って行くのであ る。
私の最も好きな一節である。
私は現場を最優先に考えている。現場と云っても色々ある。工事現場、営業の最前線、設計現場、アフターメンテの現場は基より、一般に内勤と呼ばれている部 署も現場である。だから暇な時は(最近暇な時が多いが)事務所の中をうろうろする。何をしているのだろう?何か用事なのだろうか?と、社員は思っている筈 である。気が付いたことはその場でも言うが、担当の部長を呼び注意を促すのである。部長もたまったものではない。それらの積み重ねが教育現場になっていく のである。少しだけ当社を理解しているメーカーの社員が最近私にこう言った。「社長、ここは会社ではなくて学校ですね」と。
話を井村君の事に戻そう。現場見学会の会場に行った時、「井村、君うちへ来てどのくらいになる?」と尋ねると、彼は「もうかれこれ10ヶ月です」と答えた ので、「ふんー」とだけ言い残して私は帰り、冒頭の会話へと繋がっていくのである。彼はメーカー社員でメーカーが勝手に決めた出向制度に基づき、約10ヶ 月位前から当社に出向している。だが彼はまだ受注実績はゼロだったのである。彼は私の一言に発憤したのか、その後コンスタントに契約を上げるようになっ た。これは余談だがそれから何年か後に彼の仲人もさせて頂いた。
そもそもメーカーの出向制度は理屈に合わないと思っている一人である。例えば、新入社員クラスが当社に出向してきた場合は、ひと月当たり出向費用として 65万をメーカーに支払う事になっており、彼らが借りた家賃以外の経費は全て当社持ちである。いくらメーカーの給料が高いと云っても、新入社員の年収が 780万もしないと思う。だから業績の良い会社は当然であるが出向は受け入れなくなり、業績が悪くなると資本構成に物を言わせて、経営出向などと称しどん どんメーカーの社員を送り込んでくる。それと反比例するかのように業績は悪化していくのである。もういい加減に気づくべきである。メーカーの社員が優秀 で、協業会社の社員が無能であるというパラダイムは間違っていることに。全国の協業会社のうちで、メーカー主導の会社が上手くいっているケースは殆どない ことに。その理由はメーカーの社員特に経営出向してきている代表権のある常務とか専務達は(何故社長ではないのか私には判らない。メーカーの内規でそう なっているらしいが、兎に角不思議な会社である。社長がいない会社なのである)、協業会社が嫌いで、一日も早くメーカーに帰りたいと云う思いが強く、その 場限りの経営しか出来ないことにある。戦略的思考が出来ないのである。当然ミッションもなければ理念もない。全国に一社上手くいっている会社が鹿児島にあ る。そこの代表取締役専務は、一日も早くメーカーの社員を円満退職して、サンホーム鹿児島の社長として経営に当たりたいのである。全く逆なのである。だか ら、経営出向は駄目と決して言っているのではない。また、メーカーの社員が無能で協業会社の経営者が優秀などとも言ってはいない。唯、経営出向するのなら メーカーを退職して行くべきである、と言っているのである。そもそも集団とか組織は人間が主役で構成しているのである。人間は理屈や理論や損得や命令や脅 しでは絶対動かないのである。感情で動くのである。
(*感情とは、優しさ、思いやり、熱意、仏教で云うなら慈悲、キリスト教なら愛、と解釈して欲しい)
私は自分自身で開発した1泊2日の研修プログラムを持っている。今までにそのプログラムを使って社内で3グループの研修を行なったことがある。その研修中 に様々なドラマが起き、自分で言うのもおこがましいが、3回の研修の度ごとに1人ずつではあるが3人の人間を救ったと、私は思っている。過去に部長達が 「この人間はどうにもなりません、うちの部署には要りません」と言ってきた人間を、個人面談を何回もしたり、配置転換をしたりして、何とかその人の生きる 道を当社で探れないかと、私は考えるのである。仕事の出来る人間は何処へ行っても通用するが、そうでない者は当社でしか勤まらないと思ってしまうのであ る。変な会社!と思う人も多いらしい。だから当社では、私が経営の第一線にいる間は、『リストラ』と云う言葉は存在しない。普通一般に考えれば、年間5千 万位の節約はすぐ出来る。ギャラリー、サッカー、専属プロゴルファー、秘書、給与の昇給率、ボーナスの倍率、新規採用人数、どうみても全く要らない15人 の社員、拠点の統廃合、等々である。
しかし、私はこれらのどの一つにも手を付ける気持ちは毛頭ない。その時は私が去る時だと思っている。企業も人生も効率や場当たり的な利益が総てではない。 その企業が何を社会に残したのか、或いは何を問うたか、その人間がどう生きたのか、が大切だと私は思っているのである。サンホーム兵庫は勿論の事、天下の 松下だって誠に失礼だが千年後にはもう存在しているかどうか判らない。でも宇宙はある。

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