或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第二部 ~豊かさと自由を求めて~


第二章 神は平等である

あれは確か、1993年7月12日の深夜だったと思う。私は札幌にいた。何故かというとその年の社内旅行は国内組と海外組に分かれていて、海外組はタイの プーケット島、国内組は北海道となっていて、私はメーカーの外せない、が余り意味のない会議の為、スケジュールの調整がつかずやむなく国内組に入り北海道 にいたのである。ビジネスホテルに毛が生えたような程度の部屋のカーテンが激しくゆれた。しかし、長旅と飲めないくせに少々飲んだサッポロビールの所為 で、早々に眠ってしまった。明くる日の朝早く何気なくテレビのスイッチをつけてみると、なにやらただならぬ様子で、アナウンサーやレポーターが喧しく捲く し立てていた。眠い目を擦りながらよく観てみると、どうやら地震のようだった。所謂、それが北海道南西沖地震だったのである。奥尻島は壊滅的状態になり、 津波と火災で特に津波で多くの尊い命が奪われたのである。
それでも我々はレンタカーで、札幌から小樽を経由し、羊蹄山の麓でゴルフを楽しみ、所々に地震の爪痕を見ながら洞爺湖で2泊目の宿を取り、次の日も函館で ゴルフをし五稜郭の近くのホテルに泊まり、無事函館空港から伊丹に帰ってきた。
それから約1ヶ月ほど経った或る日の午後、私に一本の電話がかかってきた。日ごろから私には無い物を持っている友達の一人として、ある種の尊敬心を抱いて いた山谷からだった。彼は左官業を営んでいた。左官業といってもその辺の左官屋とはわけが違い、1日あたり約150人前後の職人を動かしている立派な大企 業を経営している社長(親方)である。どのくらいの規模かというと、ゼネコン業者と比較して例えるなら、年商にして二百億に相当するといえば分かりやすい と思う。
電話の内容はゴルフコンペの案内だった。彼が世話役をしているコンペがあって、その開催日はいつがよいかという相談だった。私が慌ただしく毎日を送ってい ることを、仲間達も配慮してくれ、特にゴルフコンペの日程などについては、前もって私に打診をしてくれるのである。今何をしているのかと尋ねると、伊丹空 港へ向かっている途中だといった。又どこか東南アジア(関西空港は当時まだオープンしていなかった)ヘでも行くつもりなのかと、問うと、職人を迎えに行っ ているのだといった。何故かというと奥尻島へ2週間ほど、勿論ボランティアで自分のところの職人を派遣していて、その帰ってくる日が今日なので、迎えに 行っているのだった。私は、「そうか」としか言えず、又彼の大きさに触れ、熱い思いがしたことを今も覚えている。
それから1ヶ月くらいしてからであろうか、もう何代も続いている醤油屋を経営している友人から、山谷の長男のことを聞いて私は愕然としたのである。長男が オートバイで事故を起こし、下半身不随になりそうだと言う事だった。すぐさま山谷と最も親しい崎田に電話をして様子を伺った。崎田から詳しく事故のありさ まを聞き、病院での様態や今後の見通しについても尋ねたが、余り芳しくなかった。今現在は詳しいことは知らないが、リハビリに励んだ甲斐がありパソコンを 駆使し、家業に大いに貢献している模様で、明るさも取り戻し結婚も考えているとのことらしい。何だか少し救われた思いである。
私はこの事を想い出す度に何故かしら遠藤周作の沈黙とリンクさせてしまうのである。皮肉な運命とでも言おうか、山谷の長男が事故を起こしたのは、山谷が奥 尻島から帰ってくる職人達を伊丹空港まで迎えに行ったその翌日だったのである。果たしてこの世に神は存在するのであろうか?存在するとすれば平等なのだろ うか?平等だとすれば何に対して平等なのだろうか?それは我々が知る由もないことなのだろうか?はたまた犯してはいけない領域なのだろうか?
次々と湧き出る疑問に今の私に答えることは出来ない。唯沈黙をするだけである。これからの私の生きる大きな命題の一つであることは間違いのないところである。

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