或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第一部 ~君は父親を越えられるか~


第三章 文句を言わない家族?

私には5人の家族がいる。妻と長女と長男と次男である。
長女は、岡山にある音楽大学の3年生である。専攻は声楽家である。小学4年の時、地元の合唱団に入団し、そこで少女歌劇に出演して、主演のシンデレラを演 じたのがそもそものきっかけで、声楽に興味を持ったのである。音楽の分野は、私も妻も全く分からない領域だったので、受験の時も的確なアドバイスが出来 ず、本人や習っていた先生の指示に従うしかなかった。長女は、国立音大に行きたかったのだが、受験に失敗し、現在の音大に行っている。後で分かった事だ が、普通の大学受験と違って、音大の入試は、課題曲が大学によって全て異なるので、3校も受験すると云う事は、大変な事だったらしい。本人はそんな事に愚 痴ひとつこぼさなかった。幼い頃から、チャレンジ精神が旺盛で、何事にもプラス発想の出来る子であった。例えば、運動神経は私に似て、余り良くなかった が、マラソン大会に出場したり、ソフトボールも自分なりに一生懸命取り組んでいた。また4~5歳の頃のエピソードとしては、何が原因かは覚えていないが、 私が長女を鯉のぼりの支柱に縊り付けた事があった。私は、その事をすっかり忘れてしまい、夕方近くになって、私の母親が気付き、解き放した事があった。そ の時でも長女は泣かなかったのである。反面要領も良く、私や私の両親に物をねだるのも大変上手で、私などは分かっていてもついつい乗せられてしまうのであ る。将来は、ミュージカル俳優になりたいらしい。芸術の世界はこの上なく難しい世界だが、本人は平気でいる。私も彼女がミュージカルスターとして舞台に立 つ事は、ほとんど無理だとは思っているが、彼女の人生については、全く心配していない。その根拠は、丁度1年位前に、私の会社宛てに、彼女から郵便物が届 いた。その中には、灰谷健次郎氏の「海の図」と云う本と共に、彼女の手紙が同封されていた。便箋ぎっしりに、10枚程の長い手紙だった。その全文を載せた いくらいだが、それを読んで私は、彼女は大丈夫だと思ったのである。私も早速「海の図」を読み、本の感想と一緒に返事を書いて送った。彼女は「私が結婚す る時まで、この手紙を持っていて欲しい」と結んでいた。
長男は高校2年生である。地元の高校ではなく、大学の進学率の関係で龍野市にある高校に通っている。運動神経は3人の子供の中では最も良く、小学の3年か らサッカーを続けている。長男の最大の欠点は、自分の好きなこと、自分の得意なことにしか興味を示さず、嫌いなこと、嫌なことには見向きもしない処であ る。幼い頃、私の車の中から無断で小銭を持ち出し使ったので、私は、長男の唇が切れ、血が出るほど殴ったことがある。それきり、学校などでお金が要る時で も、私や妻の財布が入っている鞄を持ってきて、私達に手渡す。勝手にバックから財布を取り出して、開けたりはしない。欠点もいろいろあるが、この長男のこ とも私は心配していない。中学3年の体育大会で、肩を脱臼し、それが癖になり、夜中でも寝相によっては、脱臼を繰り返すようになった。高校1年の夏休みを 利用して肩の手術をすることになった。私も妻も立ち会ったが、痛みの大変激しい手術で、二晩ほど寝ることが出来なかったようだ。2週間程経過し、妻も 4~5日に1度、病院に世話をしに行く程度になった。そんな或る日、妻が病院に行くと、長男が入院仲間とトランプをしていたそうだ。その仲間の1人が、ほ とんど裸同然になっていたので、その理由を尋ねると、ゲームに負けたものは、着ているものを1枚ずつ脱ぐと云う罰則だったそうである。私は、その話を妻か ら聞いて、彼は大丈夫だと思ったのだ。何故そのことが安心に繋がるのかと聞かれても、はっきりは答えられないが、私は、彼なら生きていけると思ったのであ る。
次男は中学3年である。来春、高校受験を控えている。兄と同じ高校へ行きたいようだが、少し難しいように思う。スポーツも勉強の方も、兄より少しずつ劣っ ている。でも私達は、取り立てて話し合った訳ではないが、決して長男と比較するような事は言ったりしない。大体比較論など、この世に存在しないと思ってい る。極論かも知れないが、地球が滅び世界に自分1人になったと仮定してみると、それがはっきり解る。一体誰と比較して、頭が良いとか、金持ちだと言えるの であろうか?比較論ほど、人間の心を卑しくするものはない。事実、次男は次男なりに、プレッシャーを感じているようだ。まだまだ時間はある。頑張って目指 す高校へ入って欲しいと願っている。よしんば、落ちて他の高校へ行く事になっても、そこでまた人生を見付ければいいのである。
私が、大学4年の元旦であった。私の父は「明日お前が付き合っている子を連れてこい」と、言った。連れてくると「3月30日が良い、この日にする、お前達 の結婚」で決った。仲人は農協の組合長に、父がお願いをした。式場も農協会館で行った。私は決心だけすれば良かったが、妻の方は準備の期間がなかったの で、大変忙しかったそうである。私は、大学卒業と同時に就職も結婚もしたのである。だから私の夢は、一度だけでいいから自分の給料を全部自分の為に使う事 である。結婚が決った時、私は、私の母にも妻にもこう言った。私はどちらの味方もしない、愚痴は一切聞かないから、そのつもりでいて欲しいと。妻は1度も 言わなかったが、私の予想通り、母は何度か私に妻の愚痴を言った。その都度私は、結婚する時言っただろう、一切聞かないと、と言って取り合わなかった。そ れが、功を奏したのか、ここ10年程は言わなくなった。私は、嫁と姑の争いは、私の母と祖母との関係で、嫌と云うほど見てきていたので、そんな非生産的な 事で、仕事や自分の生活に支障をきたされるのは、どうしても避けたかったのである。結婚後間もなく長女が生まれ、それと相前後して、私は新しく作った岡山 の営業所へ赴任した。長女は、父親とは、1ヶ月に2~3度家に居るものだと思っていたらしく、友達の父親がいつも家に居る事を不思議がっていたそうであ る。最近でこそ、特別な用事がない場合は、8時には帰宅出来るようになったが、ほんの2~3年前までは、大体10時前後に帰宅していた。結婚して、22年 が経過した。その間、家族旅行と呼べるものは2回である。1回は、東京ディズニーランドで、もう1回は、奈良のドリームランドである。PTAも村の付き合 いもすべて妻に任せきりである。結婚当初からそうであるが、私が幾ら給料を貰っているか妻は知らない。私が、ひと月ずつ妻に生活費を渡すのである。財布は 当然、私のポケットの中も無断で見たりはしない。
妻は勿論の事、子供たちも私に一度も文句を言った事はない。私は、そのお陰で仕事に集中出来るのである。いくら感謝してもしきれない。だから一層家族を 放ってはおけないのである。結局、彼らの方が一枚上手なのかも知れない。私は、妻の掌の上で遊ばれている孫悟空なのだ。

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