或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第一部 ~君は父親を越えられるか~


第三章 君は父親を越えられるか?

先日、角川春樹氏が、マリファナ所持の常習者として逮捕された。いろいろと報道され、改めて知ったのだが、彼の父親は商売人というより学者だった。何回も の勘当の末、春樹氏は父親の後を継ぎ、出版界の寵児ともてはやされ、大いに活躍した事は周知の通りである。しかし、彼は父親を越えられなかった典型であ る。角川文庫と云う企業経営においては、ある時期父親を越えたかも知れないが、人生の上では春樹氏でさえも父親を越える事が出来なかったのである。
私は、この45年間の人生で3回死と直面している。最初は出産時である。3ヶ月ほどの早産で、体重も2,000グラムにも満たなかったらしい。医学の発達 した今日では、別に取り立てる程の事ではないが、戦後間もない頃の出来事である。村に1人しかいない助産婦の手によって、昭和23年7月6日午後5時頃私 は取り上げられたのである。誰も助かるとは思っていなかったそうだ。
2度目は、6歳の時である。小児結核を患い、町内の病院に入院した。まだまだ栄養事情のよくない頃である。今で言うなら、院内感染だったのかも知れない が、その入院中に脳脊髄膜炎、所謂、脳膜炎を併発したのである。医師は、先ず助からないだろう、もし助かったとしても、脳障害が残る事は覚悟して欲しい、 と両親に言った。現在私は、多少我が儘で変わっているかも知れないが、一応の読み書きは出来るし、掛け算の九九はまだ忘れていないし、自転車にも乗れる位 の運動神経は持ち合わせている。
3度目は、これは全く私の不注意からであるが、危うく日本海で遭難しかけたのだ。大学2年の時、友達6人程で京都の天の橋立てへ遊びに行った時の事であ る。現地で知り合った女の子と2人でボートに乗り、いい気になった私は、沖合いに停泊している軍艦に向かって、ボートを漕ぎ出したのである。かなり沖まで 行った時、空が俄かに一転かき曇り、同時に強い風を伴って、激しい雨が降ってきた。身の危険を察知した私は、やっとの思いでボートを方向転換させ、岸に向 かって漕ぎ始めた。辺りを見回すと、一槽の船も見当たらない。風雨は一段と激しくなり、波も高くなった。木の葉の様、と云う表現を身に染みて感じた。岸は 全く見えない。私は一瞬、私の人生もこれまでか、と死を覚悟した。しかし、この女の子は余りにも可哀相だ、出来る限りの努力はしてみよう、そう思った。頭 の中は真っ白な状態だった。今までの人生で[必死]で何かをしたと云う記憶は、後にも先にもこの時だけである。私は息もしないで漕ぎ続けた。ぼんやり岸が 見え始めボートが岸に着いた時、思わず2人は抱き合った。私は、拳の痛さをその時初めて知った。両方とも皮がめくれて、血が滲み、親指の付け根に亀裂が 入っていた。最初の出発点からは1キロ程流されていた。友達は、捜索願いを出す寸前だった、と言った。
高校2年の時である。2階で受験勉強をしていると、トントントンと、珍しく父が階段を上がってきて、「今度新しく会社を作る事になった」とだけ言って降り ていった。最近身の回りで、慌ただしい気配を感じていた原因がその言葉で解った。それまで父は、雇われ社長であったが、その時会社を作る決断をしたのであ る。その会社が[新光建設]だった。私は、本当は新聞記者に憧れていたが、父のその言葉を聞いて、父の会社の後を継ぐ決心をしたのである。
落ちる筈がないと思っていた大学受験に失敗し、1年間の浪人生活を余儀なくされた。私は、人生で始めての挫折を味わったのである。翌年、受かる訳がないと 思っていた、中央大学の法学部に合格し、無事4年間で卒業し、同時に新光建設に入社した。私の心の中では「親の七光り」と云う言葉が常に引っ掛かってい た。営業していても、最後に契約をするまで、社長の息子である事を意識して隠していた。さりとて、業績は上げなければ、他の社員に舐められると思い、私は 私なりの、プレッシャーを感じていた。4年で専務取締役になり、会社経営を隅で見れる立場になった。少々経営学を学んだ私は、父の発言ややり方に不満を覚 えるようになった。数字が分かっていないとか、古臭い方法だとか、分析力がないとか、等々である。私にとって父は、師であると同時に叩きのめすべき強力な ライバルだった。何時かは踏み越えなければならない、大きな大きな山であった。しかし、青臭い私が、もがけばもがくほど父は、どんどん大きくなっていく山 だった。こんな事はしていられない、一日も早く「あいつ」に追い付き、追い越さねばならない。そんな意識の葛藤が、くる日もくる日も続いた。
32歳のある春の日だったと思う。私は、1人で近くの山に登った。山登りなんか小学生以来だった。何故そんな気になったのか解らないが、多分何かの雑誌で 読んだのであろうが、高僧は山に登って下界を見下ろして悟りを開く、と云う事が頭の隅に残っていたのだと思う。幼い頃の記憶を辿りながら、ゆっくり登っ た。息を切らして、頂上に辿り着いた。持参していたお茶を飲み干し、仰向けに寝転んだ。その時、私は閃いた。確かにこの山はこの近辺では最も高い。しか し、日本ではもっと高い山がある。世界に目を向ければ更にもっと高い山がある。宇宙のスケールで考えれば、想像さえ付かない。
創業者であり、オーナー経営者である親父など、所詮、息子である私には、越えられない山なのだ、ならば越えるのは止めよう、無駄な事は止めよう、自分は自 分の道を歩めばいいではないか、自分の轍を残せばいいではないか、と思った瞬間、肩の力が抜け、私は目の前が明るくなった。幼い頃、1度ならず2度まで も、私の命を救ってくれたのは、医師の力でもなければ投薬でもない、両親の愛情ではないか。私は頬を伝う涙を拭った。
ギャラリーを通じて知り合ったのだが、父娘で絵を描いている画家がいる。私は、その娘の方に「いつまでお父さんの真似をするつもりなのですか?このままで は何処までいっても貴女の絵は出来ませんよ。勇気をもって自分の絵を描いてみたらどうですか?」と言った事がある。その私の言葉が励みとなり、画風に変化 が出てきた。彼女は、今年、大きな賞を取られたそうである。私は、何気なく本当の事を、思ったまま言ったのだが、本人には相当応えたらしく、努力されたの である。ギャラリーの女子社員に、「私に感謝している」と言われたそうだ。
私は3回死と直面した。そして、3度とも命を救われた。しかし、私は運が良かったと思ってはいるが、偶然や奇跡だとは思ってはいない。傲慢な考え方かも知 れないが、必然だと思っている。私は、この世でまだまだしなければならない事があり、神が、それを命じているのだと思っている。もっと宗教的な言い方をす れば、この世で、お前はもっと修行をしなさいと、神が死を許さないのだと思っている。私達は、何かをする為に、この世に生を受けたのである。ならば、自分 の出来る事はたかがしれているかも知れないが、その時その時を精一杯生き切る事が、我々に課せられた宿命だと思う。
君は父親を越えることは出来ない。どんな父親でも越えることは出来ない。そんな無駄な事に時間を費やす事は止めて、今を大切に生きる事を考え、行動すべきである。
[即今只今此処]私のオフィスの壁に貼ってある、神の言葉である。

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