或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第一部 ~君は父親を越えられるか~


第三章 今の僕の大いなる悩み

私には今、二つの悩みがある。一つは新光建設の将来であり、もう一つは井上常務である。
新光建設は、現在資本金が9千万で、その70%近くの株式を私の父である社長が個人で所有している。後は、10数人が所有している。私の持株比率などはた いしたことはない。5年前までは、サンホーム兵庫に私が赴任したのと交替に、サンホーム兵庫から新光建設に帰った原山専務と、以前私のお目付け役で今は新 光グループの子会社の一つである、新光住宅産業の社長と、新光建設の専務を兼任している吉田社長と2人で、新光建設の実際の経営を行っていた。サンホーム 兵庫が、もたもたしながらも、ある程度立ち直りかけたのとは反対に、新光建設は伸び悩んでいた。
丁度5年前、私の妹婿に当たる大手ゼネコンに勤めていた高橋君が、その会社を辞め、新光建設に来てくれる事になった。2年程前から、今勤めているゼネコン を辞めて、新光建設に来るように口説いていたのである。吉田社長も原山専務も私も社長も、大いに心強く感じ喜んだのである。高橋君は、休眠会社になってい た新光工事(現在の新光工業)の社長と、新光建設の専務に就任した。途中細々とした事はあったが、大幅な組織改革を行い、当時25億位だった売上は、今年 度(平成5年)9月期の売上は、47億になり、利益も1億4千万である。
高橋君は、大変頭が切れる。その切れ味の鋭さは、私など遠く及ばない。しかし、その切れ味が、現在災いの元になっている。よくある例だが、先ず新光建設創 立以来の番頭である吉田社長、原山専務との確執である。この2人には一言相談すれば済むのであるが、高橋君はそれをしないのである。初めは相談しながら、 様々な事柄を進めていたらしいが、まどろこしくなったのか、今では全く相談をしない。義理の父である社長とは、よく話し合っているようだ。しかし、それが 逆効果になり、社長に対して子飼いの吉田社長や原山専務達の不審感を買っている。彼らの矛先は自然と私に来る。私はとりあえずではあるが、彼らの話を聞く からである。新光グループには、役員の定年は65歳だと云う定説が出来上がっている。彼らはあと2年程である。彼らの言い分は、気持ち良く辞めさせて欲し いと、いう事だ。寂しい、嫌な思いを最後になってしたくないのだ。人間は無視されるのが一番辛いのである。私は、彼らの気持ちが痛いほど解るが、今のとこ ろどうする事も出来ないのである。その主な理由については、この後を読んで戴ければ解って貰えると思う。
丁度1年前の新光グループの取締役会議の席上で、社長は、「高橋を、新光建設の代表取締役副社長にする。皆も了承して欲しい」と言ったのである。私は、一 瞬自分の耳を疑った。私の意識の中には、今はサンホーム兵庫の代表権を持ち、副社長として経営に当たっているが、新光建設の副社長でもあると云う気持ちが あった。頭の中が真っ白なまま取締役会議は終わった。私は、正直頭にきた。私は、何処かにその腹いせをぶつけなければ収まらなかった。私は当時、新光建設 から月当たり50万の給与を貰っていた。給与を貰っていたといっても、サンホーム兵庫からその50万に10万プラスして、経理上、人件費負担と云う名目 で、60万新光建設に支払っていた。私は、すぐさま、新光建設の経理に電話を入れ、給与はいらない、その代わり勿論負担もしない旨を伝え、健康保険の切り 替えも同時に行った。それだけでは腹の虫が収まらず、粟倉常務と井上常務と私の給与を、翌月から10万上げた。ささやかな抵抗だったが、1週間で自分自身 の気持ちを切り替えた。それから3ヶ月程経って、社長に「あれはないでしょう。せめて事前に私に相談があってしかるべきでしょう。私は、反対などしません よ。私が、普通のぼんくらの二世経営者だったら大変ですよ。お家騒動にもなりかねませんよ」と責めた。社長である父は、一言もなかった。
これは今年の出来事である。新光建設が新しく会社案内を作成した。今までそれらしき物はあるにはあったが、会社案内と呼べるような物ではなかった。新しく 作成した会社案内の内容も御粗末極まりなかったが、最後のページに役員全員の紹介が載っている。役員全員の名前が掲載してある会社案内も珍しいが、私と吉 田社長の名前は、最後尾に、しかも[非常勤]として掲げられていた。私もショックを受けたが、吉田社長の落胆振りはもっと酷かった。私は、高橋君にソフト にその理由を尋ねた。彼に明快な回答が出来る訳がなかった。私は社長に「ご存知ですか?これには何か意味があるのですか?私は成る程実情から言えば非常勤 です。それならば貴方もサンホーム兵庫においては非常勤ですよ。そんな事会社案内に書いて、どれだけの得があるのですか?」と聞いたが、私の求める答えは 返ってこなかった。従って現在の私の新光建設における正式な立場は、単なる取締役でしかも非常勤なのである。
以前に、新光グループの戦略面における、重要な政策を決定する際に、私は大局的見地から二つの進言をした事がある。しかし、社長は聞き入れなかった。それ よりも、高橋君のTQC戦略に基づく様々な施策に新鮮さを感じ、これ迄の実績数字にのみ酔いしれている節が見受けられる。私は、社長に約半世紀近く経営の 実践の場で積み重ねてきた事実に、自信と誇りを持ち続けて欲しいと願っている。社長はこれまで「勘」と「閃き」と私にない「度胸」で、数々の修羅場をく ぐって来られたのだ。それは私を始め、吉田社長も側で見てきた事であり、認める処である。高橋君の今年の初出の挨拶で、彼は、「私の方針ややり方について 来れないものは去れ」と言った。私は呆気に取られて言葉を失った。私でさえも一度も公の場で口にした事のない言葉だったし、その様な事は私自身考えたこと もなかった。あの言葉は奢りであり、思い上がりの何物でもない。自分一人で一体何が出来るのかと、私は声を露に言いたかった。高橋君は、まだまだ経営が 解っていないと実感した。岡目八目と云う言葉があるが、外部から見ていると本当に良く解るのである。今の新光建設の業績数字が、実力かどうかが、手に取る 様に解るのである。住宅部門は殆どここ3年伸びがない。ゼネコン部門の業績は素晴らしく、そのお陰で新光建設の売上が伸びたのであるが、その受注ソースの 半分は、私を始めグループの人の情報である。手厳しいようだが、自分達の実力は半分がやっとである。唯、考え方は偏っているが、開発部門だけは孤軍奮闘し ている。
吉田社長も、社長に進言をしたらしいが、聞いては貰えなかったそうだ。私は吉田社長と、「もう1年待ってみましょう。その答えは自ずから出るでしょう。い い結果が表われたら、高橋君と社長のやり方が正しかったと判断しましょう。どちらになっても、今は業績が良いので、何を言っても無駄ですから。悪くならな いと気が付きませんよ」と言っている。新光建設は、財務体質が抜群に良く、自己資本率も40%位ある。少々業績が落ち込んでも潰れる心配はない。
私には執着心と云う物がない。上手くいくならば、高橋君がそのまま新光建設を経営すればいいと思っている。と言うより殆ど、新光建設に未練が無くなってい る。10年もサンホーム兵庫の経営に携わっていると、サンホーム兵庫が可愛くて仕方がないのである。潰れかかった新光ロイヤル住宅から今日のサンホーム兵 庫になった今、私は新光建設はグループ会社の一つである、と云う認識でしかない。何事も自然の流れに任す心境である。新光建設が、私を必要とする時期がく ればそれもよし、こなければそれもまたよし、である。出来れば、私を必要とする時期が来ないで欲しいと願っている。唯一つ気掛かりなのは、個人的な問題だ が、父の相続問題である。財産はどちらでも良いが、新光建設の株式については、私も頭が痛い処である。私は、相続放棄をしても良いと思っているが、高橋君 の妻である妹と、もう一人いる妹が、相続税を払う能力があるかどうかである。苦労をして、父が築いた新光建設を存続させるのは、長男として私の義務だと 思っている。どちらにしても、高橋君が立派に、真の経営者として企業経営に取り組んでくれる事を祈るばかりである。
私のもう一つの悩み、井上常務の問題は多分に個人的な問題である。彼と私とは同級生で、高校こそ違ったが、小学、中学と同じ学校で、彼は、高校卒業後町役 場に勤務していたところを、私が引き抜き、私より1年先に新光建設に入社したのである。彼は、トップセールスマンとして輝かしい業績を上げ,課長、部長、 とトントン拍子に出世し、現在サンホーム兵庫の常務取締役として、管理部門を統括している。彼の仕事振りに関しては、様々な分野で述べたので省略するが、 私には持ち合わせていない、とてつもない能力を持っている。業務をまとめ上げる能力とそのスピードは、天下一品である。しかし私は、彼はこのままではいけ ないと思っている。どういけないかは彼が一番解っている。もういい加減に私に対する競争心と、コンプレックスは捨てて欲しいと願っている。しかしながら、 私のよき相談相手であり、よき理解者でもある。1対1で話していると、粟倉常務よりも解り合える。しかし、ある時突然私に対する対抗意識が頭を持ち上げる のである。私と井上常務との立場が逆であったら、私がどう云う態度をとるのか考えた事もないが、もう20年以上一緒に仕事をしているのだから、解って欲し いと思っている。私は、彼の人生を変えた事に責任を感じている。あのまま町役場に勤めていれば、私が声を掛け引き抜きなどしなかったなら、といつも気にし ているのである。特に彼には、俺の人生は良い人生だった、と思って欲しいのである。今回はSTM研修には健康上の問題で参加出来なかったが、来年の1月に は是非、参加して欲しい。そして、自分自身を見直し、もっとダイナミックに活動してくれる事を祈っている。何せ彼は、誰よりも感受性が強く、細やかな神経 を持っているのだから。

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