或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第一部 ~君は父親を越えられるか~


第二章 心に残った本

私が物心ついてから最初に読んだ本は三国誌だった。その面白さに惹かれて、続いて水滸伝を読み、西遊記、項羽と劉邦、十八史略と、中国の物語を読み漁っ た。と言っても小学5~6年だったから、本格的な書物ではなく、概略的なものだった様に思う。大学生になって三国誌、項羽と劉邦を読み返し、仕事をし始め てから、特に経営に携わる様になってから、十八史略を読んだ。
ゴルフでもスキーでも、一番最初の印象が肝心である。私の場合は、ゴルフコースへ始めて行った時に、まぐれではあるが、パーを一つだけ取れたことで、ゴル フに対して良い印象を持ち、後々上手くなる結果になった。その代わりスキーの時は、こんなしんどいこと、もう二度とやらない、と思ったのでその後もしよう とも思わなかった。本との出会いは三国誌だった。劉備の徳、張飛の勇気、関羽の豪、何と言っても諸葛亮孔明の智略は、読んでいてもハラハラドキドキの連続 だった。それが私と書物との永い友情が続いている要因になっている。
高校時代は文芸部に所属したりして、一時期文学青年を気取っていた。芥川龍之介に凝った時期でもあった。殆ど読破したが、何故かしら最も心に残っているの は[ハンカチ]である。蜘蛛の糸は35~6歳になった時、その内容の深さに改めて驚いた始末である。自殺に追い込まれていく過程で、芥川が狂気の内で書き 記した[真実のノート]もどこかに残っている。大学時代は最も時間があった時期だった。麻雀と遊びの合間を縫うように、様々なジャンルを乱読した記憶があ る。仕事をし始めてからは、忙しいことにかまけてあまり読まなくなった。藤沢にいる、大学時代の友人に電話をし、最近読んだ本で面白いのを紹介してもらっ てから、買って読む事が多くなった。随分ずぼらになってしまったものである。
経営者の端くれになってからは、経営書も含めて、所謂ビジネス書と小説との読む割合は、4分6分である。4分がビジネス書で、6分が小説である。ビジネス 書の中で最も感慨深かったのは、田中要人氏著の[社長業の実務]と[社長業の心得]である。これほど解り易く端的に書かれた経営書には、今現在も巡り合っ ていない。私にとって、若い頃から一番身近な経営者は、父である社長だった。社長の仕事とは、取りも直さず父親の日頃の業務そのものだと思い慣らされてい た。田中氏の本を読んで、私が描いていた社長の仕事というイメージとは、全くかけ離れている事に気が付いた。はっきり言って、父である社長がしている仕事 は、会長の様な仕事だと思った。同じスタイルではいけない!私は眼が覚めた思いだった。また、田中氏は本当に経営者の心が、つまり何処にも持って行きよう のない寂しさや、誰にも言えない孤独を、腹で解っている人だと思った。
小説では何と言っても司馬遼太郎氏の[坂の上の雲]である。この小説を於いて他にない。理屈抜きで面白い。棺桶に持っていきたい本である。最近司馬氏の [春灯雑記]をある人の勧めで読んだ。ぼんやりしか解らなかったが、いっそう司馬遼が好きになり、[坂の上の雲]が好きになった。遠藤周作氏の話題の小説 [深い河]を読んだが、大学時代に読んだ[沈黙]には遠くおよばないと感じた。最近の作家では連城三紀彦が好きである。宮本輝も少し諄いが良いと思う。伊 集院静くらいなら自分にも書けそうな気がする、と言ったら失礼だろうか?
本を読む、と云う事は疑似体験をするのであるが、同時に情報を得る事にもなる。情報、情報と云われ続けて久しいが、そもそも情報とは勝手に集まるものだと 信じている。集めようと思って集める情報なんてたかがしれている。但し、条件がある。真剣な問題意識を持っている事が、必要条件となる。私達の回りには沢 山の情報が乱れ飛んでいる。しかし、それに気が付かない物がいかに多い事か。気が付く、気が付かないかは、問題意識があるかないかである。それを感性と云 う。同時に、同じ場所で、同じ事を体験したり、観たりしても、感じたり、思ったりする事は千差万別である。感性のない者はどんな素晴らしい物に出会って も、何の効果もない。感性は、一朝一夕に身に付くものではないから、なおさら厄介である。日頃から、あらゆる事に興味を持ち、人が生きるとは?を思考し、 真剣な問題意識を持ち続けるしか、感性を高める方法はなさそうだ。それは、或る女性の話だが、[レインマン]と云う映画を観に行ったのだが、途中で寝てし まったそうだ。あの映画は涙なしには観られない映画である。少なくとも私はそう感じた。いくらその女性が美人でも私は寝たくない。そうは思いませんか?

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