或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第一部 ~君は父親を越えられるか~


第二章 池坊免許皆伝?

池坊のお華を習い出して約10年になる。資格は、脇教授らしい。脇教授と云うのは大変偉いのである。その上は准教授と正教授のふたつしかないのである。入 門から始まり、初伝、中伝、皆伝、華掌,その次が脇教授になっている。もう充分お金を取って教える事が出来る身分なのである。しかし、お正月の花を生ける と、妻に直される情けない脇教授なのである。
毎週金曜日、先生に会社に来て貰い、午後6時から、会社の会議室で女子社員7~8人と一緒に習っている。お花代は個人で払うが、教授料は会社の福利厚生費 にしている。3~4人は比較的真面目に取り組んでいるが、残りの3~4人は多少優先順位を勘違いしている者がいる。仕事は致し方ないが、それ以外に個人的 なプライバシーを優先し、何も特別に用事のない時に習いに来ている感がする。教授料を会社にみてもらっている、と云う認識がない。
お華の先生と云うと、何となく口うるさいオバサンを、イメージしがちだが、うちに来て貰っている先生は、今現在39歳である。10年前からなので29歳の 時から来て貰っていることになる。他の女子社員は当たり前だが、先生と呼んでいるが、私は一度も呼んだことがない。いつも名前で呼んでいる。この先生は大 変いいお花を生けられる。私が花を生け終わって、どうもしっくりこなくて悩んでいると、たった一箇所直すだけで、全体が生き返ってくる事がよくある。ギャ ラリーを運営している関係上、私は、他の人よりは多少美的感覚はあると思っているが、池坊のお花の展覧会に行っても、先生の作品は他の先生方の作品と比べ て、一味も二味も違っている。とにかくすっきりしている。だがこの先生はお金儲けが大好きなのである。本業であるお花をもっともっと極められたら、きっと 素晴らしい華道家になられると私は信じている。おかしなマルチ商法まがいの仕事に手を出さないで、本業に打ち込んで欲しいと願っている。それにしてもこの 世界は本当に古い体質で、不合理な筋を重んじる妙な処がある。先生もそれが余り好きでないのかも知れない。私達から観れば、先生自信もその体質を引きずっ ていると思うのだが、本人は気が付いていない様だ。
私のお花のルーツを溯ると、26年前になる。大学へ入学した時、私は落語に興味があったので、落研クラブに入会しようと思っていた。新入生を勧誘するため に、それぞれの部が校庭に入部案内コーナーを設けていたので、私は早速落研クラブのコーナーに行きかけたが、その隣の美人に呼び止められてしまったのだ。 そのままずるずる入部したのが、実は華道部だったのだ。2年くらいは真面目に活動をしたが、失恋をきっかけにほとんど顔を出さなくなり、その内退部してし まった。流派は草月流だった。動機は不純だったが、お花自体は好きになった。大学生活の中でいろんな思い出があるが、忘れられない思い出のひとつである。
私は、みやこわすれ、と云う花が一番好きである。あの可憐さはどの花もかなわないと思う。次に好きなのは、木瓜の花であり、梅と続く。水仙の生花も難しい がなかなか味わいがある。やっと万年青が生けられるようになった。立華はまだ生けたことがない。先生は勧めているが、時間がかかりそうなので断っている。 そろそろ挑戦しようか、と考えている。何事もそうだが、『道』と云う名がつくものは奥が深い。極めるのは容易ではない。
お稽古日に私が生けたお花を自分の机の上に飾っている。玄関にはいつも先生が生けたお花がある。会社の回りの欅の木や、山桃の木の根元には、いつも季節に あった草花が咲いている。先日、ベゴニアからラナンキュラスに植え変えられていた。花は美しいが花自体が美しいのではない。いくら綺麗な花が毎週毎週玄関 や、会社の受付や、会議室や、応接間に生け変えられていようと(当社はお花の稽古日に、共有する全ての部屋は生花に生け変えている。造花は一本もない)気 が付かない者にとっては、少しも綺麗ではない。繰り返して言うが、花自体が美しいのではなく、見る人が気が付いて初めて美しいのである。更に言うなら、美 しいと思う心がなければ、花は美しくないのである。美しいと思う心が美しいのである。
いつまでも、いくつになっても、その心は持ち続けたいものである。

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