或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第一部 ~君は父親を越えられるか~


第二章 小説を書いてみた

小説を書いてみた。小説すばるの新人賞に応募した。締め切りは、今年の(平成5年)4月末だった。昨年の5月頃から書き始めて約1年かかった。題名は[椎 名町にて候]である。大学入学から、その年の12月迄の半年間の出来事を、思い出しながら書いた。100枚以上300枚以下と云う条件だった。最終的には 162枚になった。肺活量の少ない私は、長い文章を書くのも苦手だが、長い小説も得意ではない。162枚なら中編の部類だが、私にとっては長編だった。今 年に入ってからは、毎日悪戦苦闘の連続だった。勿論、業務が最優先だが、一寸時間があるとワープロに向かった。しかし、小説は一寸の時間で書ける程甘いも のではなかった。途中で何回も投げ出したくなった。別に、小説を仕上げなければならない理由は何一つないのである。3回くらい大幅な書き直しをした。いよ いよ送稿する頃になって、もう一度読み直した。余りのお粗末さに、送稿するのが嫌になった。読み直さなければ良かった、などと悔やんだりもした。何事も チャレンジだと、思い直して送った。発表は12月のすばるの誌上で行われるのだそうだ。全国から、約1,500編ほど応募があるらしい。この6月か7月か に、第一次審査の合格の発表があったのだそうだ。私は、それさえも知らなかったので見ていない。デビュー作にしては、大いに不満に思っている。
最も情けなく思ったのは、ボキャブラリーのなさであった。少ないと云う段階ではない、ゼロと言った方が適切である。例えば、会話の箇所で、「………」と彼 が言った、「………」と誰々が言った、と云う風に、言った、言った、ばかりになってしまうのである。頷くもあれば、喚くもあるし、微笑むもある。会話の [言った]ひとつ例を上げても、しかりである。大歳時記を何かの役に立つかも知れないと思って、何年か前に買っておいたのが、大なる味方になってくれた。 広辞苑は片時も離せなかった。それに現代用語辞典、時刻表、日本地図、ありとあらゆる物が机の回りに必要だった。また何年振りかに図書館にも行った。主な 目的は古い新聞を調べて、当時の事件や、時間的な推移を知るためだった。5~6枚コピーをしてもらい持って帰った。1時間に2~3行しか進まない事も、 しょっちゅうだ。次は11月の末が締め切りになっている、オール読物の新人賞に応募しようと思っている。30枚以上80枚以下なので、実はもう書き終えて いる。以前にお遊びで書いていたものがあったので、それを加筆したり、訂正したりして7月頃に一応完成している。枚数は37枚で、題名は[銀杏]と云う。 平凡な男のペーソスを、学生時代の出来事と織り混ぜながら書いてみた。これはまあまあ書けていると思っている。
[椎名町にて候]を応募する際に、大学時代の友達に、一応了承して貰うために電話をした。特に親しかった2人に連絡をすると、2人とも送ってこい、と言う ので送った。2人とも懐かしく思い出したと云う感想を返してくれた。その内1人からは、手厳しい批評もあったが、事実、その通りなので素直に受け取った。 本来は、彼の方が文才があると私は思っている。私は、彼に小説を書く事を勧めたが、取り合わなかった。彼とは、今でも親交があり、彼が私の家に遊びに来た り、私が東京に出張する際に、彼の家に泊まったりしている。勿論、ゴルフ付きである。腕前は殆ど変わらない。もう1人の友達は、中央大学の法学部を卒業 後、思い直して親父の歯医者を継ぐべく、歯科大学へ再入学し、今は伊豆の下田で歯医者をしている。歯医者の彼は、自分の子供に大学時代の自分の生活や、悩 んだ事などを知らせるために、コピーを取ったと言っていた。もう少し子供が大きくなったら、読ませると言っていた。彼は、私の小説を褒めてくれた。どうや ら、彼は小説家にも評論家にもなれそうもない。
何を隠そう、ここだけの話にして欲しいのだが、私は直木賞を密かに狙っているのだ。以前、新井満氏の[尋ね人の時間]を読んで私は芥川賞は止めた。とて も、私にはあの様な小説は書けないと思ったからだ。小椋桂氏の[シクラメンの香り]を初めて聞いた時に、ショックを覚え、作詞家になれないと実感した。後 は、直木賞しか残ってないのである。構想していて、題名まで付いている作品があと5編ある。1年に1作ずつ書いても5年かかる。何故そんなに小説に拘って いるかといえば、私には大望があるのである。その大望については、また別の機会で詳しく記したいと思っている。

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