或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第一部 ~君は父親を越えられるか~


第一章 コロンブスの卵

或るプレハブ住宅メーカーの協業会社(以下新光ロイヤル住宅と云う)は、父が創立した地元有力工務店(以下新光建設と云う)と、メーカーとが資本を半分ず つ出し合い、資本金は3,000万で、4年前に創った法人である。元々は新光建設のプレハブ住宅部門であったものを、独立させたものである。勿論、社長は 私の父親であるが、実際の経営は、父が新光建設を創立したときのメンバーの一人である原山専務が担当していた。新光ロイヤル住宅を設立した時は私も、ただ 副社長として経営に参加していたが、半年もしないうちに、新光建設のグループ会社の一つである、新光工事と云う会社の責任者が急に退職してしまい、そのポ ストが空席になってしまった。私は新光ロイヤル住宅から新光建設に呼び戻され、新光グループの新光工事という会社を見る事になってしまったのである。
新光工事と云う会社は、新光建設と新光ロイヤル住宅が販売したものを施工する会社である。当時は販売と施工とを分けていたのである。新光建設は木造住宅を 年間100棟前後販売していた。一方新光ロイヤル住宅は、年間ピークで150棟ほどを販売していた。新光工事は、新光建設と新光ロイヤル住宅から、それぞ れ請負金額の5%の管理費を貰っていた。例えば、請負金額が1,000万で、その原価が800万だとすると、1,000万の5%で50万を原価の800万 に上乗せして、850万が発注金額になると云う取り決めをしていた。
新光工事という企業の生命線は唯一つ、原価管理だけである。施工経費として貰った5%を、どうやって6%、7%にするかであり、今一つは追加工事をいかに出し、発注金額のボリュームを上げるかである。
私は、新光建設と新光ロイヤル住宅の積算部門が組んだ実行予算を、工事予算に組み替えて、それぞれの工事監督に手渡し、それで下請けに発注するよう指示を した。その工事予算をオーバーするときは、必ず報告するよう命じた。個別の項目についてオーバーしていても、全体で予算内に収まっている時は許可をした が、そうでない場合は理由書を付けさせた。
私は、3ヶ月程の間、妻に頼んで弁当を作って貰った。その弁当を現場で職人、特に大工と一緒に食べるのが目的だった。唯それだけで大工とのコミュニケーションがよくなり、現場はスムーズに動き始めた。
半年位で軌道に乗り、午前の10時迄に殆どの仕事が終わってしまい、暇で暇で困っていた。そんな時、"JC"所謂青年会議所に入会した。ゴルフを本格的にやり始めたのもこの頃だった。
しかしその頃から、元請である新光建設と新光ロイヤル住宅の受注量が、日を追って減り始めていた。特に新光ロイヤル住宅の落ち込みは酷かった。私は工事監 督の中で優秀な二人と共に増改築の営業に回り、大工の仕事を繋いだ。そんな状況の中、新光ロイヤル住宅を担当していた原山専務と入れ替わって、私が新光ロ イヤル住宅の経営を任されたのである。
私は一生に一度しか使えない手を使った。新光工事を当分の間休眠会社にし、新光工事の中で、主に新光ロイヤル住宅、つまりプレハブ住宅の現場監督をしてい た者を新光ロイヤル住宅に連れて行き、新光建設の木造住宅を担当していた者を、新光建設に引き取らせた。販売と施工とを合体させたのである。当時、新光工 事には3ヶ月程の売上ダムがあった。と云うのは、新光ロイヤル住宅が仮に山田邸を9月に売上を計上したとすると、新光工事での売上計上は12月だった。粗 利益にすると2,500万位あったように思う。私の頭には、新光ロイヤル住宅の4月から9月までの累積赤字は3,000万位だと思い込んでいたから、持ち 越し分、即ち2,500万の粗利で大方埋まるであろうと云う気があった。しかし、後で分かったのだが、確かに帳面上は3,000万だったが、実際はその倍 の6,000万の赤字だった。甘かった、と思っても後の祭りだった。
次に新光工事から連れていった者の人件費は、12月のボーナスも含めて、10月、11月、12月、の3ヶ月間は新光工事で支払った。現場監督の中から営業 が出来そうな者を選んで2人を営業に配置転換をした。又、新光ロイヤル住宅で設計をしていて、営業センスのありそうなものを3人営業にした。とにかく受注 をしなければ倒産するしか道はなかった。
多少粉飾はしたが、59年3月期の決算は、売上173,500万、経常利益170万、仕掛工事6,790万だった。因に前期の仕掛工事は3,200万であった。
その年の5月のグループの定例役員会で、私は決算報告をした。席上、以前に新光ロイヤル住宅を担当していた原山専務がこう言った。「あんな方法だったら誰 でも出来る」と。私の隣にいたグループ全体の経理を担当していて、日頃何かと私にアドバイスをしてくれていた木下常務が「原山専務、それはコロンブスの卵 やで、誰かがしてからだったら何とでも言える」と言った。私は心の中で、コロンブスの卵、コロンブスの卵、コロンブスの卵と、3回叫んだ。

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