或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第一部 ~君は父親を越えられるか~


第二章 拝啓お酒呑み様

私は酒が呑めない。勿論ビールもウィスキーもダメである。弱いと云う域ではない。まるっきり受け付けないのである。日本酒なら杯に二盃が限度であり、ビー ルはコップに半分程度、水割りになると薄いのを1時間程かけて呑む。要するに体質なのである。科学的に云えば、アセトアルデヒトを分解する酵素がないので ある。大学時代に、3回程先輩に無理矢理呑まされ、3日間動けなかった事がある。練習すれば呑めるようになる、と言うけれど、死ぬ思いまでして呑めるよう にならなくてもいいと思っている。
仕事をしはじめた最初の頃は、随分困った。私共の職種は、お客様との付き合いでお酒を呑む事はまずない。呑む機会といえば、ほとんどがメーカーとの懇親会 か、会社の行事である忘年会か、下職との会合の時くらいである。どちらかと言えば、こちらがイニシャティブを取れる立場なのが、せめてもの救いだった。
「今日は泊まられるのだから、いいじゃないですか」(泊まろうが、帰ろうがこちらは関係ない)
「まあ一杯だけ」(その一杯がだめなのだから)
「本当は呑めるんでしょう」(呑めたら呑むよ)
「私の酒が呑めないのですか」(誰の酒も呑めない)
この様な会話を何回繰り返したであろうか。今では、殆どの人に知れ渡ったので、無理強いしてくる者はいなくなった。最も私を悩ますのは、結婚式である。特 に、仲人をした時は必ず何人かが注ぎに来る。こちらも慣れたもので、座席の下にバケツを置いておき、そこに次から次へと惜しげもなく捨ててしまう。酒呑み にすればもったいない話である。その点、JCは紳士だった。いらない、と言えばそれで済んだ。何一つ言い訳はいらなかった。今でもJCの諸君は品良く酒を 呑んでいるだろうね。少々心配している。
我々酒が呑めない者は、酒を呑む者を一応認めている。にも係わらず、酒呑みの連中は我々を認めようとしない。こんな美味しいものを知らないのは、一生損だ とか。宴会も一段落した頃を見計らって、ご飯を食べようとすると、早や飯を食べて場がしらける、などと平気で言う。放って置いてくれ、お前達がいくら呑ん でも文句を言った事があるか、と言いたい。
酒呑みだけに係わらず、自分の価値観のみを正しいと信じ、他人の価値観を認めようとしない者がたくさんいる。人間の一生なんていくら平均寿命が伸びた昨今 でも、せいぜい90歳くらいである。宇宙の歴史からすると針の穴にも相当しない。そんな小さな経験や薄っぺらな知識を振りかざして、絶対正しいなどと言え るものが、一体存在するとは思えない。ましてや、我々凡人達が作り出す狭い世間に於いて絶対などと称するものはないと思う。大方の人間は、自分にとって都 合の良いことを、正しいと言っているケースが圧倒的である。価値観と言えば聞こえはいいが、好みであったり、我が儘であったりする。酒呑みが正しくて、呑 まないのが正しくないのか、と言えば決してそうではない事くらいは、理解できるはずである。法律的には、秩序を保つと云う意味において、善悪の判断をしな ければならないが、人が生きていく上においては、絶対的な意味において、善悪は存在せず、むしろ表裏一体であると思う。
特に企業経営においては存在しない。これは正しいがあれは間違っている。その件は良いがあの事は悪い。善悪で判断できるほど経営は単純ではない。判断基準 を、合うか合わないかに置いた方が賢明だと思う。世の中の流れに合っているか?我が社の規模に合っているか?社風に合っているか?社員の能力に合っている か?等々である。いくらA社で成功した事例でもB社において上手くいくとは限らない。それぞれの会社には、各々に歴史があり、規範があり、文化があるので ある。それを無視して、いくら素晴らしい事でも取り入れてはいけないと思う。
拝啓、お酒呑み様。酒は楽しく、静かに楽しんで下さい。

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