或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第一部 ~君は父親を越えられるか~


第二章 選挙なんて大嫌い!

最近、小沢一郎氏の[日本改造計画]と云う本を読んだ。グランドキャニオンには柵もなければ、危険を知らせる立看板もない。それを見て、アメリカと日本の決定的な違いを改めて認識した。自由なアメリカ、規制国日本。あらゆる発想の原点はそこから始まっている。
この8月に(平成5年)、保守55年体制が崩壊し、8党派による連立内閣が発足し、細川氏が内閣総理大臣に就任した。暫定内閣であることは確かであるが、 一方政治改革内閣と呼ばれている。小沢氏が提唱するような二大政党になるのか、穏健な多党制に移行していくのかは、誰も知る由もないことだ。いずれにせよ はっきり言えることは、かつての自由民主党の様な長期政権が続くと云う事はなさそうだ。
政治改革は是非やって欲しい、と願っている。関連四法案だけでなく、もっともっとして欲しいことが沢山ある。例えば、選挙違反があれば立候補者は直ちに立 候補資格がなくなり、仮に当選後に違反が発覚した場合も、議員資格が剥奪されるようにすれば良いと思う。選挙運動についてはヤマ程ある。先ず選挙カーの廃 止。あの騒音だけはご勘弁願いたいものだ。事前に見え見えのポスター掲示の禁止。風化したポスターは目障りなだけである。電話による投票依頼の禁止。嫌が らせ電話に相当する代物だ。食事の供応。莫大な手間暇と金がかかる。そんなことを言ったら選挙運動も、選挙活動も出来ないではないかと、御心配の向きもあ ろう。御心配めされるな、百年昔も今も同じやり方では余りにも能がないと言っているのだ。テレビによる公開討論会。勿論、事前打合せはない。公の場所での 政策立ち会い演説会。要するに、政策論争をして欲しいのである。
14~5年前、私の伯父が富山町の町長に立候補した。伯父は、富山町で木材会社を経営していた。創業時は、私の父と共同で事業を行っていた。私の父はその 後、或る会社に引き抜かれていったが、そこのオーナーと喧嘩して現在の新光建設を創設したのである。
私は、伯父が選挙に出馬するまで、選挙とはどうゆうものか全く知らなかった。真夜中に自宅に電話がかかってきて、「だれだれやけどな、今何々と云う飲み屋 に居るから、直ぐ出てこい」、と云った式の事はしょっちゅうあった。私は酒も飲めないので、「もう遅いですから明日にして下さい」と言うと物凄い剣幕で電 話口で怒鳴り、「票が欲しくないのか」、と言うので、渋々出掛けたことがあった。今、行われている選挙とは、多かれ少なかれこんなものである。
また或る時、若者ばかりが集まり、伯父の後援会を作ることになり、私に話をせよと云うので、私は如何に伯父が素晴らしい人物であるかを話すと、後で散々に 怒られた。お前は、頭が高い、もっとお願いしなければいけない、と言うのだった。結局、初めての挑戦で伯父は、現職の町長に大差で勝利を収めた。
伯父は、二期目は無投票で信任された。三期目に元の町長が挑戦してきた。我々の陣営は敗けるはずがないと、高を括っていた。結果は小差で敗けてしまった。 あの時の選挙戦を振り返ってみると、敗けるべくして敗けたと思う。先ず気の緩みがあった。最大の原因は内部で分裂、しかもそれがトップで起こった事にあ る。選挙に限らず内部分裂は、どんな戦いも、なかんずく、企業経営も敗戦に導く。心すべきである。
2年前に、伯父の町政を継承すべく、40代の比較的若い町会議員だった男が、町長に立候補した。私は、応援を頼まれた。立候補者には何一つ義理はなかった が、後援会長がJCの先輩であり、親しくしていたので、金も時間も提供した。残念なことに、結果は負けてしまった。理由は色々あるが、最大の原因は立候補 者の人物にあると思っている。選挙後、3ヶ月ほどして本当に親しいものばかり10人程が集まって、反省会をしたのであるが、その席上で彼の人間性、即ち、 誰にも本心が言えない、と云う心の貧しさを発見したのである。また2年後に出るのだそうだ。その時は陰ながら応援することにしている。
選挙は、外から見ている分にはいいが、中に入るものではない。ましてや自分が立候補などするべきでない。選挙ほど、人間の持つ嫌らしさが出るものはないと 思う。もうこりごりである。今後一切、自分の身内から立候補者が出ないことを祈るばかりである。

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