或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第一部 ~君は父親を越えられるか~


第二章 忘れられないお客様

「それでは、来週の日曜日、夜8時に伺います。失礼します」
「来週も来るの?何しに来るの?」
「えっ!毎週日曜日の夜は、ここは来ることになっていますから」
「だから、何しに来るの、何を話に来るの。私の方は何も話すことも、相談することもないよ。契約することしか残ってないのと違うの?」
「えっ!契約?」
「阿呆やね、契約しなくていいの?なんなら今日でもいいわよ。契約書持ってないの?」
「はい、持っていませんし、契約の仕方も解りませんので、来週にして下さい。すみません」
私の第一号の契約だった。主人は養護学校の先生で、奥さんは踊りの師匠さんで、奥さんの弟が、殖産住宅のトップセールスマンだった。奥さんが、私のことを 大層気に入ってくれたのが、契約できた主たる原因だったように思う。その後、奥さんに6件ほど紹介していただき成約した。その方に紹介していただいたお客 様を訪問すると、殆ど話が煮詰まっており、3回位の面談で契約できるものばかりだった。自宅も3回リフォームして戴いた。20年以上経過した現在も、お付 き合いが続いている。勿論、FNAのメンバーである。お子様も大きくなられた。と同時に私も歳をとったが、あの時の感動は今でも忘れることが出来ない。
モデルハウスで休憩をしていると、私宛てに電話がかかってきた。
「もしもし、北見さん、私です、岸田です。昨日は申し訳ありませんでした。今夜、時間あります?いえ、何時でもいいです」
私は、おかしいなあ、昨日ミサワホームに決めたと言っていたのに。何の用事があるのだろう?と思いながら、岸田宅を訪問した。岸田氏の話はこうだった。昨 日、ミサワホームにすると言ったが、奥さんにその旨を伝えると、大変立腹され、それから口も聞いて貰えないとのことだった。奥さんの言い分は、「私はミサ ワでも新光ロイヤル住宅でもどちらでも構わないが、北見さんに自分の家をしてもらいたい、他の人ではいやだ」と云うことだった。どうか、もう一度お願いで きないか、と云う相談だ。但し、条件が二つある。一つは、誠に勝手で申し訳ないが、ミサワと同じ値段にして欲しい。もう一つは、私が自ら現場監督をする事 だった。即座にOKの返事をした。岸田氏は、値引きをお願いしたので、申し訳ないから契約金はこれだけ払います、と言って用意していた600万円を渡し た。請負金額は650万円だった。
岸田氏は、岸田氏の同僚の丸山氏に紹介して戴いた。丸山氏からよく言われていた。どんなことがあっても、岸田氏だけは契約しておくように、必ず君の役に立 つから、と。岸田氏は、一部上場会社に勤務しており、仕事は総務の係長で、住宅等の会社融資を担当する部署だった。岸田氏は、会社でも非常に信頼されてお り、あの岸田氏が選んだ住宅なら間違いがないと、云う評判が立ち半年くらいの間に、10件近く同じ会社の人を契約させて戴いた。誠に残念なことだが、岸田 氏の住宅が完成して、半年も経たない内に、交通事故でお亡くなりになられた。皮肉にも、新光建設の近くである。私は、誰にも言わずその場所に石仏を建て た。1年ほどして、その石仏を岸田氏の会社の同僚が見付け、会社に報告をしたところ、そんな事をするのは新光ロイヤル住宅の北見さんしかない、と言って私 の処へ会社の方がお見えになった。大変有り難いことだが、もし良かったらこの石仏を私どもの会社に持って帰り、納めたいとおっしゃられたので、私もその方 が良いと思い、お願いをした。私を選んで下さった奥様は、岸田氏の実家に帰られた。5年位は年賀状を戴いていたがその後途絶えている。元気で暮らしておら れることを祈っている。実は、私の心に今も引っ掛かっており、誰にも話していないことがある。岸田氏の住宅を新築する際に地鎮祭をしなかったのである。岸 田氏は、そんなことは無駄だからしないと言われ、私と岸田氏とで塩を蒔いて済ましたのである。今一つは、棟上げの日が仏滅だったのである。これも、岸田氏 がこだわらない人だったので、そうなってしまったのだが、今思うと反対するべきだったと後悔している。
岸田氏を紹介して戴いた丸山氏とは、今も永くお付き合いをさせて戴いている。丸山氏は尺八の名人で、時々ギャラリーにもお見えになる。前の会社は定年でお 辞めになり、第二の人生を楽しんでおられる。そして、何時お会いしても輝いておられる。私も、そうありたいと願っている。勿論、丸山氏もFNAのメンバー の一人である。

■PDFで読む