或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第一部 ~君は父親を越えられるか~


第二章 JCの思い出

今年も我が家の庭にある金木犀の香りが漂う時期になった。私は、金木犀の香りを嗅ぐ度にJCを思い出す。理事長もお引受して、本格的に事業計画を立てるた めに行動を開始したときも、そして1年後に理事長としての責任を何とか果たし、次の理事長にバトンタッチをしたときも、車庫に入れた車のドアを開けると、 あたりはいつも金木犀の香りに包まれていた。
JCすなわち青年会議所は、全国750以上の組織体で構成され、それぞれの地域に合った活動を展開している。県別、地区別にも組織化されており、その頂点 に日本青年会議所がある。また世界74ケ国でも青年会議所運動は展開されており、来年は神戸で世界大会が催される。基本的に身分の上下はない。我々一地方 の理事長も、日本青年会議所の会頭も同等である。年齢は20歳から40歳までの青年経済人で構成されており、40歳を越えると退会しなければならない。卒 業したものをシニア会員というが、特別な活動もしないし、拘束もされない。現役メンバーは全国で6万人位で、シニアメンバーはおそらく10万人を越してい るものと思われる。
青年会議所は、奉仕、修練、友情という三つの信条を掲げ、明るく豊かな社会を創るのを目的としている。友情は何人かの人間が集まれば、勝手に出来上がるも のだが、それが真の友情かどうかとなると、また別のものであろう。友情論をぶつ気はないが、考え様によると、まことに得体の知れないやっかいなものだと思 う。例えば、あれほど親しかった友人でも、お金の貸し借りひとつで壊れていくのを私は何回も見ている。本当の友人は、生涯にひとりか、せいぜいふたりだと 思う。そうは思いませんか?
修練とは、何か抹香臭い感じがするが、自己開発と置き換えれば良いと思う。大変大きなテーマであり、たかだか40歳迄に自己を開発できる訳がない。唯、自 己開発をしなければ、自分自身の人生は勿論、会社を経営していくことが出来ない、と云うことを認識すればいいのである。そして、その為には何をすれば良い のかを、知るきっかけを掴めばいいと思う。
奉仕は容易には理解できない代物である。私も、奉仕などは金持ちの暇人がするものだと思っていた。こちらが奉仕してもらいたい位だと思っていた。どの地方 の、どんな小さな青年会議所にも、必ず社会開発委員会があるはずである。なければ、その青年会議所の存在価値は無いに等しい。それほど、重要な委員会なの だが、実は最も面白くない委員会でもある。自己開発が出来ない者が、社会を開発できる訳がないのである。しかしながらまた逆の発想も成り立つ。社会を開発 しながら、自己開発していくことは可能である。奉仕は、私に最も深い影響を与えたテーマだった。今、私はそのテーマに向かって挑戦し、実践をしている途中 である。富士山に例えるなら、一合目か二合目、あるいはそれ以下かも知れないが、登りかけた事だけは間違いないと思っている。何故なら、経営には奉仕の含 まれる部分が大きいからである。極論するならば、全てがそうなのかも知れない。お客様に対する奉仕、従業員に対する奉仕、下職に対する奉仕、世間に対する 奉仕。
私は、32歳でJCに入会をした。当時、新光工事で暇を持て余していた頃だった。入会3年目に日本青年会議所に出向をしたり、ゴルフ同好会のお世話をした りして、誠に快適にJCライフを楽しんでいた。4年目に或る委員会の委員長を頼まれ、受けることにしていた。丁度その時である。メーカーからの要請があ り、新光ロイヤル住宅へ行く事になったのである。取締役近畿統括部長はJCを退会することを強く申し入れた。私は、迷って尊敬する神山先輩に相談をした。 神山氏は、わざわざなんの得にもならないのに、取締役近畿統括部長に会い、JCの良いところ、私のJCに於ける存在価値について話をした。結局JCに対し ては休会と云う形を取り、メーカーには退会すると言って、嘘をつくことにした。私が受けていた委員長は、別の人に変わってもらった。
3年で新光ロイヤル住宅も一応目処がつくところまでになったので、JCに復帰した。最終年度に当たる40歳のとき、第22代の理事長をさせて戴いた。3年 間のブランクがあったので、まさか理事長をさせて戴くとは夢にも思わなかった。有り難くお引受をした。
三木露風の生誕地であるこの龍野市では、4年前から街興し事業の一貫として、童謡祭を市を上げて開催していた。その提案をしたのも当青年会議所だった。私 は一応の区切りとして、この童謡祭を広く認めさせる上で、日本青年会議所に褒賞の手続きを取る事にした。同じ狙うならば一番上の賞を、と意気込み、特別委 員会を設置し取り組んだ。近畿地区では、ベストオブベストを獲得した。その時の全国大会は高知県で催された。私は褒賞委員の前で、冒頭に「ゆうやーけ、こ やけーの、赤とんぼー」と歌い、童謡祭がいかに優れた事業であるかについて熱弁を奮った。私は一番になることを信じて疑っていなかったので、表彰式の後の 懇親会に着るべく、借り物だったがタキシードまで用意していた。結果は3位までにも入れず、桂浜で涙を流す羽目になった。足りなかったのは、熱意でもなけ れば、事業の奥の深さでもなく、根回しだったのである。
JC生活9年間。いろんな思い出がある。書き上げればきりがない。老婆心ながら、一言だけ言わせていただくならば、どうか在籍中に奉仕という概念を理解し ていただきたいと思っている。私は、JCに大きな恩恵を受けたと感謝している。現在、私どもの企業が取り組んでいるギャラリー、少年サッカー、FNA戦略 等は、もし私がJCにお世話にならなかったら、決して考えもつかなかった発想である。
また来年も、金木犀の香りが漂う季節が来るであろう。そして再来年も…

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