或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第一部 ~君は父親を越えられるか~


第一章 坊主になった

私は腹を決めた。エイッと気合いを入れて自分の部屋の椅子から腰を上げた。行き付けの床屋ではなく、近くの初めての床屋へ行った。床屋の椅子に座ると、そ この大将が、「どんなふうにしましょう。」と聞いた。私は、丸坊主にして下さい、と言った。亭主は聞き直した。私は再び、坊主にして下さい、と今度ははっ きり伝えた。何枚刈りにしましょう、と尋ねられたので、色々あるのですか?と質問をした。結局3枚刈りにして貰うことになった。本当にいいんですね?亭主 がもう一度念を押した。ええ、と力なく私は答えた。バリカンが入れられた。私の頭の中央を情け容赦なく通っていく。止めて!と言い掛けたが、声にならな かった。亭主が「何か、粗相でもしたんですか?」と話しかけた。その後、この同じ質問を何十回も受ける事になるなんて、その時は考えもしなかった。
昭和62年3月31日の夜8時の出来事である。
私は床屋から出て、自分の頭を2~3回手で撫でた。肌寒い夜だった。私は軽くくしゃみをした。事務所に戻ると、まだ沢山の社員がいた。驚いた目付きで私を 見るものや、情けない顔をするものや、不思議そうに見るものや、馬鹿にした様な態度を取るものや、無関心を装うものや、様々だった。
61年12月より、62年3月迄の4ヶ月間行われる受注コンテストの総決起大会を兼ねて、61年の12月の半ば頃に忘年会が催された。その時の受注目標 は、4ヶ月で確か25億だったと思う。その席上で私は、「たったこれ位の目標が達成できない訳がない。もし仮に出来なかった場合は、皆さんが悪いのではな い。全てこの私に責任がある。出来なかった時は、私が責任を取り坊主になります。皆さん、もし私の坊主頭が見たかったらやらなければいい。私は、坊主にな るのは嫌だから、一生懸命頑張ります。皆さんも一緒に頑張りましょう」と振ったのである。唯単にそれを実行しただけのことである。
結果論的にいうと、私のこの坊主頭は何の効果もなかった。何の意味も持たなかった。私の一人よがりに過ぎなかった。私は、ショック療法を試みたのである が、私が坊主になったくらいではたいして効果は出なかった。自分が考えるように他人を動かすことは難しい事が解った。特に相手の心を動かすことは薄っぺら な感傷や、小手先ではダメだと云う事がしみじみ理解できた。ただひとつの救いだったのは、後に辞めてはいったが、神戸にあった協業会社でメーカー資本の協 業会社に吸収合併されたのを由とせず、私どもの新光ロイヤル住宅にやってきていた松田氏が、翌日私の部屋へやってきて、「大変申し訳なかった。済みません でした。とんだ恥をかかせてしまって二度とこんな不細工な事にならないよう今後は頑張ります」と言ってくれたことだった。私は、正直嬉しかった。坊主にな ると云う事が、どれほど惨めなことなのか、経験したものにしか分からないと思うが、とにかく嬉しくて涙が出そうだった。皮肉にも、それが良きにつけ、悪し きにつけ問題の多かった松田氏だったのである。(松田氏とは外人部隊の功罪の項と同人物である)
ある時、2~3人でよく行くステーキ屋へ行った。私は、大げさなようだが、ここのステーキは日本で、いや世界で一番美味しいと思う。肉自体も勿論美味しい が、その後に食べるニンニクライスが絶品である。ご飯とニンニクだけなのに何故あんなに美味しいのか?と一度尋ねた事があるが、ここが違うと、言ってマス ターは自分の腕を叩いた。歳は60少し前だと思うが、もう30年も同じ場所で商売をしている。ニンニクライスと一緒に食べる糠漬も格別であり、糠床も25 年になると言う。カウンターだけの席でせいぜい12~3人座れるのが限度である。夕方の5時から夜の8時までしか店は開いていない。その店で私達は、席が 空いているのにもかかわらず、断られてしまったのである。何故なら私が坊主頭だったので、あちらの筋と勘違いをされたのだ。顔見知りのはずだったのに、 「悪いなあ、もう終わりや」の一言だった。その事を後になって伝えると、暗くて顔が見えなかったのだという。ちなみにここのステーキは値段も手頃で、1人 当たり7千円もあれば充分である。
お寺の坊さんが(浄土真宗の坊主はそうではないが)何故坊主頭にするのかが解った。と云うのは、私が坊主になったからである。坊主になると、極端に性欲が 無くなってしまう。これは不思議だが説明のしようがない。最も強い欲望のひとつである性欲が減退してしまった。坊主になるという事はこういう事だったの か、とつくづく思った。髪が揃った今はそうではないので御安心あれ。
ともあれ、私は今後出家することになる以外は、絶対坊主になんかならないつもりでいる。また、それに類する様な事は企業経営の上で、なんの役にもたたない 事を体験した。もし、私のしたような事をお考えで、なさろうとしていらっしゃるなら、即座にお止めになる事をお勧めする。

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