或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第一部 ~君は父親を越えられるか~


第一章 外人部隊の功罪

あれは確か、昭和61年の3月だったと思う。井上常務が西北向きの日の当たらない私の部屋へやって来て、面白い話がある、と言った。当時、兵庫県内には3 つの協業会社があり、新光ロイヤル住宅は、明石以西を主な商圏にしていた。その内の一つで、神戸地区を担当していた或る協業会社の業績が芳しくなく、もう 一つの協業会社に吸収合併されることになったのだ。合併する方の会社も、7~8年前に倒産寸前まで追込まれ、私の父が3年ほど面倒を見た経緯がある会社 だった。その後、父が形の上だけとは言いながら、面倒を見ていた会社は、メーカーが本格的に乗り出し、名前だけは協業会社ではあるが、メーカー資本が 100%の会社になっていた。実際の経営もメーカーの社員が代表権のある役員として行っていた。要するに今回の合併はメーカーが神戸地区を、ひとつにまと めてしまおうということだった。
合併される会社で営業部長をしていた松田氏が、井上常務を通じて私に会いたいとのことだった。私は、松田氏には面識があった。松田氏は別の或る住宅メー カーからやってきた人物で、ゼロ棟社員を短期間でトップセールスに仕立て上げると云う、凄腕の営業マネージャーとして有名だった。私はその噂を聞いて教え を請いに伺ったことがある。教えを請うと云う気持ちもあったが、本音は松田氏の人物を確かめるのが目的だった。結論としては解らなかったが、こんな男が私 の下にいてくれたらなぁと、実感した。
2~3日後に私は松田氏と会った。内容は井上常務から聞いていた通りの事だった。「我々は一生懸命家を売ってきた。言われる価格で期待以上の成果を上げた と思っている。それなのに或る日突然会社がなくなる。こんなこと耐えられません。我々は、一体何を悪い事しました?この仇を是非取りたいのです。もし、新 光ロイヤル住宅でお世話になれたら、数字で示したいと思っています。同じような気持ちの者があと4~5人います。給料の面はある程度覚悟していますが、出 来るだけの配慮をお願いします。」
私は小躍りするような気分だった。まさかこの男と一緒に仕事が出来るようになるなんて、夢にも思っていなかった。即座に返事をしたい気持ちをぐっと押さえ て、1週間以内に井上常務を通じて返事をする、と答えた。私は、5~6人の人に相談した。答えは真っ二つだった。それは大変良い、と言う人と、絶対やめと きなはれ、と言う人とに分かれた。私は全ての人が諸手を挙げて賛成するものとばかり思っていた。多少、迷ったが腹は決まっていた。井上常務にその旨を伝 え、改めて松田氏と、松田氏に付いて行動を供にする4人と会った。
井上常務も囲んで今後の戦術を練った。先ず5人でひとチームを作り、拠点は以前から考えていた、神戸西地区に置く事。給与面での差額は(神戸地区とこの地 区では、年収で30%位の開きがあった)、毎月の報奨金にプラスし、半期半期で目標達成金を支給する事。設計業務と営業は神戸チームで行うが、現場につい ては本社で担当する事。毎月の経費予算額。3ヶ月以内に事務所を決定し、その間の契約については、失業保険の支給を受けながら、手数料で払う事、等々であ る。
彼らの活躍は目覚ましかった。1人当たりの生産性は、本社の倍であった。私は、してやったりと、内心ほくそ笑えんだ。松田氏グループの参画について反対し た奴等の鼻をあかした気分だった。神戸営業所に刺激を受けて、本社の営業も遠からず成績が上がるだろうと、あちらこちらで吹聴をした。私は、人は使い用 だ、薬にもなるし毒にもなる。自分の裁量に自信を持った。しかし、それが過信である事に気が付くのにはそう時間はかからなかった。
火の手は現場から起こった。彼らは売る専門家だったが、売るだけの専門家だったのである。売ってしまえば、後は関係ない、現場の者の仕事である、という考 え方が染み付いていた。どうにもならないクレームが殺到し工務部挙げて対応したが、しきれなかった。契約時にはあった規定の利益率が、着工、完工と工事が 進んでいく内に、減っていった。貰えない売掛金が、何十万、何百万単位で発生していった。特に或る団地では酷かった。あれだけ結束の強かった、彼らの内部 に分裂が生じ始めた。私は、見るに見兼ねて、松田氏を本社に呼び戻し、事実上神戸営業所を閉鎖した。私は、特に酷かった団地のお客様の家を、一軒一軒菓子 折を持って謝りに回った。約20軒あった。辛い日々だった。
今思い出しても、申し訳ない気持ちで一杯である。お客様には勿論のこと、松田氏グループの面々にも、私の至らなさから辛い思いをさせたり、人生を狂わせて しまったと反省している。最高8人までいたメンバーの内、現在は1人だけ残っている。松田氏からは今も暑中見舞いや、年賀状を頂いているが、今は彼の幸せ を祈るだけである。

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