或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


終章 ~それからの「或る二世経営者」~


Ⅵ 新光建設の章

2003年6月13日(或る二世経営者の挑戦、第三部第三章Xデーそれは6月13日参照)をもって、妹婿である高橋より、新光建設の経営を引き継い だ。以前サンホーム兵庫の経営を一年程で軌道に乗せた経緯がある私は、二年もあればなんとかなる、という自信があった。ところが9年経過した現在も、意図 したとおりに再建は進んでおらず今も悩み続けている。

 先ずサンホーム兵庫では考えられない不良債権が存在しており、その完全処理に5年を要した。またフロムゼロという有限会社を設立し、マルチ商法まがいの商行為を行っていた。金銭的にも多大の損失を与えたが、それ以上に従業員のマインドに深く傷を与えてしまっていた。

  新光建設は今年で47期を迎える。吉田専務らの血の出るような努力の積み重ねもあり、20年前までは超優良企業で、各界からも高い評価も受け、ブランド力 と信用力のある企業だった。しかし、高橋たった一人の用意周到に準備された、私利私欲に溺れた10年(最初の5年は潜伏期間だった)という年月の付けを取 り戻すのはなかなか容易ではない。不良債権処理だけでなく、経営者は実務をしないで自分の懐を増やす者だという組織文化が出来上がっており、むしろそれを 破壊することに時間と労力を要した。

 2003年から3年間は、私の時間とエネルギーの配分は、サンホーム兵庫50%、新光建設40%、そ の他10%の割合で慌しい日々を送る生活だった。私の持論として「社長の兼任は出来ない」と思っている。何故なら、社長というものはその会社で全てを理解 している存在で、最も一番働かなければならないとポストだと思っているからである。その激務は兼任などには耐えられないのである。私は大方の不良債権を3 年間で処理し、平田氏に社長をお願いした。しかしながら、彼は新光建設という老舗の名門企業(地元では認識されていた)を、根本から立て直す気力が続か ず、1年の任期を残して辞職した。しかし、それからの彼は顧問として大いに私を助けてくれ、今は大変感謝している。その後任として原君を代表権のある専務 として、経営の執行責任者に任命したが、彼はその重責に耐えられずに2年でその職務を投げ出した。私は原君より進退伺いが提出されたので、早速ニューマテ リアル兵庫(現在は私が会長兼社長を兼任している)の丸山君に新光建設の代表取締役専務を依頼し今日に至っている。丸山専務は悪戦苦闘しながら、今年2期 目を迎えようとしている。僅かずつではあるが光が見えつつある。

 企業の再生は、コストを削減し売上を増大し、収益体質に構造改革すれば可 能である。最もシンプルで誰でも分かっている。問題は誰がどのように執り行うかである。我々の企業の様態は受注産業である。私は営業ドメインを、従来のゼ ネコン(官公庁及び民間の入札による受注)、ルート営業部門(数は少ないがローソン、フジプレ、トヨタカローラ等々)、開発営業(マンション、アパート、 オリジナルのキュウブアート、離れ)、営繕(リフォーム、リノベーション、太陽光発電)に分け、開発営業と営繕、所謂BTOC戦略にシフトし、BTOBは プラスアルファとして位置づけようとしているが、なかなか従来のゼネコン体質から抜けきれず、収益構造体質に至っていないのが現状である。入札による受注 は、営業活動という面において煩わしさはない。同じテーブルに載って、1,2,3で金額を弾いて合えば受注、合わなかったら不成立、まさしく丁半博打の世 界である。考えればそんな安易な営業活動で、経営自体が成り立っていた過去に問題があって、現在が当たり前なのである。仕事の量も豊富にあり、話し合いと いう制度(決して談合ではない)の下に、ゼネコン事業が成り立っていたのである。量も制度もなくなった現在、他の業界と同等の営業努力を重ねなければなら ない。

 一度出来上がった企業文化を破壊し、新たに創り上げるのは困難である。

 今、2013年9月期の決算に向けて最終調整の段階である。2期連続赤字だけはなんとしても避けなければならない。「利益とは出すものではなく出るものである」と、18か条の憲法には記しているが、私は私の信条との戦いで、ジレンマに陥っているのが現況である。