或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第三部 ~すべてはお客様のために~


第三章 あとがき

私は、私ほど経営者に向いてない者はないと思っている。本人が言うのだから間違いがない。どれくらい向いてないかと言うと、先ず『徳』というものが欠片も ない。所謂『人徳』というやつである。経営者にとって最も必要とされているものがである。故に従業員は勿論、地域からも友人からもそして家族からさえも尊 敬されていない。このことは致命傷である。次に『先見力』がない。先を見る眼である。だから数々の失敗を重ねてきた。また細々としたデータとか分析が大嫌 いである。すぐ退屈してしまう。専門書など1年のうちに数冊しか読まない。何故かというと面白くないからである。小説は面白いから読むが、経営とかの専門 書はほとんど読まない。それにこれは内緒だが、人の好き嫌いが激しい。我侭で独りよがりで気分屋で、仕事より遊びのほうが好きである。本当に困ったもので ある。そんなごく普通の人間である私でも努力をすればこの程度まで位は何とかなる。だから私にとってこの35年間は涙ぐましい「努力」の連続だったのであ る。そして今からの「5年間」も血の滲むような「努力」をする覚悟は出来ている。正しくそれらは私にとって『行』である。神からあるいは天から与えられた 「この世の修行」だと自分に言い聞かせている。そう思わないと自分のモチベーションが続かないからである。役員の定年制を引いたのも、ひとつには自分自身 が出来るだけ早く経営者という環境から解放されたいからである。自由になりたいからである。これでも多少は自分の立場というものを理解していて、精一杯周 りに気を使っているのである。
私は昭和23年7月にこの世に生を受けた。2,000kg足らずの未熟児だったそうである。6歳の時小児結核を患い地元の病院に入院し、そこで今で言う院 内感染だったのか脳脊髄膜炎に感染し生死を彷徨った。両親の手厚い看護で何一つ後遺症もなく今に至っている。その恩は私が命果てるまで忘れることはない。 昭和42年大学受験に失敗、同時に大失恋を経験し、人生で始めて挫折を味わった。翌年シニアの英語辞典と世界史の参考書を丸暗記という馬鹿げた受験戦略を 実行し、中央大学法学部に入学した。昭和44年に「やかんの哲学」(第一部エピローグ参照)を確立した。これだけが大学4年間かかって唯一修得したこと だった。昭和46年新光建設に入社し、住宅の営業を行う。自らに一日8件の訪問活動を課し、翌年年間50棟の契約を挙げた。昭和50年岡山営業所開設に伴 い、専務取締役兼岡山営業所長として赴任した。翌年「めぐりあいの哲学」(第一部エピローグ参照)を確立した。昭和54年当初は、現サンホーム兵庫の前身 である新光ロイヤル住宅の副社長(代表権のない)という立場だった。関連会社のひとつであった「新光工事」の経営責任者が突然退社したことに拠り、急遽私 がその後任となった。新光工事という会社は、事業のドメインも簡単明瞭であり、従業員もそう多くなかったので比較的容易に軌道に乗せることが出来、暇にな り青年会議所に入会をした。ゴルフも本格的に取り組み(毎日300球の打ち込み)、ハンディはシングル近くになった(今現在は3である)。私自身は割合の んびりとした4~5年を過ごしたが、その間に新光ロイヤル住宅はかなり重度な病魔に侵されていた。昭和59年10月。私は新光ロイヤル住宅の代表取締役副 社長として、再建を目的に経営者の仲間入りをしたのである。そこからこの四方山話が始まったのであるが、新しくアパート事業を展開し、自らその営業本部長 も兼ね、若さと情熱だけで初期の危機はなんとか乗り切った。しかし根っこの部分で怠け者の私は少々の成功ですぐ有頂天になり、数々の失敗を重ねていくので ある。平成3年には我々の意思とは関係ない処で社名が「新光ロイヤル住宅」から「サンホーム兵庫」へと変わっていった(第一部第三章~社名が変わる~参 照)。そんな時私はSTM研修(第一部第二章~STMで目から鱗が落ちた~参照)と巡り合い、それまでは従業員と握手をするなんて私の美学にはなく、ほど 遠いものだったが、それを機会に事あるごとに握手を行い、出来るだけ自らがオープンになり自分自身を曝け出すようにした。「一日一枚絵葉書を書く」を自ら に課したものこの時期だった(結局2年間続いた)。平成7年に本格的に経営に携わって10年が経過したので、その振り返りとこれからの10年を考えるとい う意味で、この「或る二世経営者の挑戦~君は父親を越えられるか~」を一息で書き記した。そのときは二部の構成もましてや三部についてなど全く考えにはな かった。平成9年には何度目かの社内旅行をハワイで行い、年商百億円突破の記念式典を挙行した(正式には売上114億5千万、経常利益7億5千万。因みに 今現在平成19年3月期は年商90億、利益1億5千万。この間分社戦略を執ったため、9年当時とは数字自体は大きく中身は変化している。9年当時に置き換 えてみると、年商は105億、経常利益は2億くらいに相当すると思われる)。平成12年、即ち2000年にお四国お遍路の旅を見事満願成就し、次いで「あ る二世経営者挑戦第二部~豊かさと自由を求めて~」を完成したのである。しかしながらこれは全く私の不徳の致すところで平成15年に赤字決算を組んでし まったのである。いくら私が無能な経営者としても、私が関連した企業で赤字にだけはなったことがなかった。私は経営者として本当に落ち込んだ。その救いを 求めるためにお写経1,000巻に挑戦した(平成19年4月現在664巻)。人間の運気というものはそういうものなのか、この四方山話にも記している通 り、その年わたしは新光建設の社長を引き受けることになったのである。
いよいよ大詰めになった。私はあと5年で経営の実践から退く。これは絶対である。だから私に残されている経営者としての時間は限られている。この5年の間 に私がやるべきことは明白である。先ず第一番目はグループ全体の悲願である315計画の達成である。正確には平成21年度グループで年商228億、経常利 益11億4千万の経営目標数字の達成である。次いでグループの方向付けである。具体的には上場への摸索であり、それが物理的に不可能な場合はより分社化の 方向付けである。そして三番目は最も難しい「後継者」の育成である。私は最近事ある毎に「次世代」という言葉を発している。入社の面接のときも「次世代」 を担うという気概を持ってきて欲しいとか、全体の朝礼の場では「次世代、つまり取締役は勿論、社長になれるチャンスは誰も平等である、是非目指して欲し い」などと言い続けている。私には2人の息子がいる。2人ともグループでそこそこの地位にはつけているが、私的には全く白紙である。企業は「トップ」で決 まるからである。無論少しも優秀でない私が出来るのだから誰でもその能力はある。ただ実践が出来るかどうかである。物の本質を見ることが出来るかどうかで ある。
マキャベリーの君主論の中に、『君主は善徳を全て備える必要はない。ただ備えているように思わせることが必要なのである』という言葉がある。私は『経営者 は名俳優たれ』と言っている。つまり精一杯の演技をすればいいのである。そのうちそれが本物になるのである。
私はもう二度とこの四方山話のページに向かうことはない(草紙の欄はこれからも書き続ける)。この結末を読者が知りたいと思うなら5年間お待ち下さい。歴 史がそれを証明するであろう。中小企業の経営者、なかんずく二世経営者の諸君、ごく普通の凡人である私でもこの程度のことは出来る。故に諸君も大いに自信 と勇気とほんの少しの愛を持って企業経営に前向きに取り組んで欲しい。今は只、そう願うのみである。
私は5年後にはお遍路に行く。勿論歩き遍路である。それから約1年ほどかけて世界をゆっくり旅する。それからは命があればその時考える。私は《空》をめざして生きていく。究極の《空》を目指して・・・・・・。