或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第三部 ~すべてはお客様のために~


第三章 尊敬する営業マン

新光グループの中には少なくとも私の尊敬する営業マンが三人いる。
先ず岡田氏であるが、彼は私の記憶では35~6年前に入社したと思う。だから私とほとんど同じくらいの社歴である。彼はもともと左官職人であったが、職業 病の一種であろうか、左ひじを痛めてこて板を持つのが困難になり、工事監督として我社にくることになった。左官職人という現場で鍛えられた経験を生かし て、在来の木造住宅の監督として彼は実にきめ細やかで丁寧な仕事をし、お客様はもちろん我々営業からも絶大な信頼を得ていた。あまりに念入りな仕事の進め 方をするので、夜は10時より早く帰宅することはなく、おそらく一年を通じての休日は、年末年始の休みを入れても20日も取られなかったように思う。その 習慣とも言える仕事ぶりは昨年定年を迎えるまで変わることはなかった。
私は20数年前にサンホーム兵庫に替わっていってからは彼との関わりは殆んどなくなった。そんな或る日たまたま彼と会った。会って私はびっくりした。先ず 頭髪が真っ白になっており、どこか体が悪いのではないかと思うほど顔色も悪く、体全体からも疲れを感じた。色々と尋ねてみると、2年前からリフォームの営 業に替わり、慣れない仕事で苦労をしているとのことだった。私は正直言って彼には営業は無理だと思ったが、私にはどうする事も出来ないので「頑張って下さ い」としか言いようがなかった。
それから私は彼のことはすっかり忘れていたが、例の事件をきっかけに新光建設の経営を見ることになって彼の業績を知るところとなり、私は改めて彼の偉大さ に心から敬意を表したのである。彼はここ何年もの間、年間1億5千万の受注をし、しかも殆んど自分自身で工事監督もこなし、その受注すべてがお客様からの 紹介なのである。どう見ても大変失礼だが顔も良くないし、外見も良くない。人の心を動かすのは「心」だということを彼に教えて頂いた。彼が定年を迎えた時 に私は、通常の退職金にプラスして100万と、2泊3日で鹿児島の妙見温泉にある「雅叙苑」に奥様と二人での旅行のプレゼントをした。到底それくらいのこ とでは永きにわたって彼が会社に対して払った犠牲や、会社が受け取った恩恵に報いられないが、せめてもの私の気持ちだった。私はその旅行には「携帯電話」 を持って行くことを禁じた。今も勿論嘱託として働いてもらっているが、くれぐれもゆっくりして下さいと、常に言い続けているが、性分は直らないらしく手を 抜かない仕事ぶりは殆んど変わっていない。少しだけ休みを取る機会が増えたかもしれない、という程度である。もう二度と彼のような温かい人は現れないであ ろう。そういう意味においても彼と一緒に生きた私は幸せであると思っている。
次は芦谷君である。
彼は昭和47年入社というから、もうかれこれ35年になる。その間住宅営業一筋でやってきた。私が新光建設の経営を担当するようになって、各営業マンのこ れまでの実績を調べさせて初めて知ったのであるが、この35年の間に彼の担当した完工棟数は350棟をはるかに超えていた。全グループを通じても断トツで 一番である。彼にその話をすると彼は、「ただ永く営業をしていただけですから」と淡々と言う。それはそうかもしれないが35年もの間現役の営業として第一 線で活躍するということは、彼が言うほど生易しいものではない。様々な障害がそこにはある。先ずモティベーションが続かない。「俺はいつまで営業をしなけ ればならないのだ、いい加減にノルマ(私は大変嫌いな言葉であるが一般に分かり易いのであえてこの言葉を使わせてもらう)から解放して欲しい、俺より遅く から入社したあいつが俺の上司になっている、会社はいったい何を考えているのだ」という風なことを一般的には思うものである。彼には全くそれがない。いや 腹の底は分からないが窺えない。
次に彼はある意味運が良かった。私が新光建設に来る前の経営者、すなわち私の妹婿である『高橋君』に余り好かれていなくて(彼は好き嫌いで人事をしてい た。私も好き嫌いは多い方だが仕事は別である)重宝がられなかった。それゆえ役員にもなれず名前だけは部長であったが、一介の営業マンとして活躍すること が出来たのである。しかし何にも増して彼をトップセールスマンと誰もが認めるに至ったのは、彼が営業、特に「住宅が好き」だったからに他ならない。 2007年1月2日に加古川に「THE入母屋」という名のモデルハウスがオープンする。勿論彼が責任者である。ここ一年くらいは彼自身が納得できる数字を 上げていないが、これをきっかけに必ず業績を上げてくれると信じている。
彼はある時私に言った。
「社長、私もあと少しで定年です。給料などいくらでもいいですから、5~6年くらいはこのまま家を売らして下さいよ」と。私はつくづく彼は「家」が好きな のだと感じた。そして二度と彼のような「営業マン」は現れないだろうと、少し寂しく思ったのである。
三番目は竹中君である。
彼は年齢も35歳で現役のバリバリの営業マンである。今現在はサンホーム兵庫の資産活用部という部署に籍を置いていて、主にアパートを売っている。農業を するには身体が以前のように無理が効かなくなってきたし、後継者もいないし、かといって先祖からの財産である土地を売るわけにはいかないし、そのまま放置 していても固定資産税はかかってくるし、相続税の心配もしなくてはならない。等々と財産がある者はそれなりの悩みがあるわけで、それらを解決するひとつの 手段として、土地活用の方法としてアパートを建築するように奨めているのである。最近はアパートだけでなく、福祉関連の事業も増え、例えばグループホーム やデイサービスや有料老人ホームやまたシルバーマンション等も提案をしている。当然サンホームだけの商品やノウハウではハード的に対応できないので、新光 建設と提携して地主即ち資産家であるお客様に様々な提案を行っている。
サンホーム兵庫で彼が所属している資産活用部の営業は、勿論新光建設のゼネコン部の営業も全てそのくらいの(竹中君くらいのという意味)知識やノウハウは 兼ね備えている。しかし彼はなんと2005年度全国サンホームの営業マン2000人のトップに立ったのである。その秘訣は、①素直(私が前年にトップだっ たK氏の名刺を机の前に貼り、毎日彼に勝つことをイメージしろと言ったらその通り実行した)②謙虚(部下も二人いるが己の自慢話など聴いたことがない)③ 真面目(今でも週一回は必ずローラー訪問をする)④ネットワーク(絶対的に強い地域がありそこではシェアは80%)⑤性格(誰にでも好かれ特に地主から好 かれており、野菜をしょっちゅうオーナー様から頂き、おそらく彼の奥様は野菜はお店で買ったことがないのではないかと思われる)⑥頼りがいがある(部下も 地主も勿論上司にも全幅の信頼がある)⑦意欲アンドモティベーションがある(どんなことをしても目標は必ず達成するという強い意思がある)。
彼はまた私のこの拙い四方山話のファンだそうで、人から聞いたのであるが、この中に自分が登場するのが夢で、これも私にとって真にもって光栄である。彼は もっともっと素晴らしい営業マンになり、また人間としても成長して行くと思う。私もそれを心から願っている。


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