或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第三部 ~すべてはお客様のために~


第三章 ゼネコンという化け物

2003年の7月1日。新光建設の全体朝礼に私は新社長として臨んだ。その席上で私は、オープンで風通しの良い会社にし、生き甲斐やりがいを感じられるよ うにしたいと話した。内心は全く自信も勝算もなかった。しかしそんなことは言っておれない、やるしかないし、やらなければならなかった。それは社員のため でもあるし、会社の秩序を保つためでもあり、最終的には全ての原因と責任があるにもかかわらず、それを全く自覚していない会長である父のためで、私に出来 る最大限の努力を惜しまない、と決めたのである。私はかなり気持ちをこめてしゃべった心算ではあるが、社員の反応はほとんど感じられなかった。サンホーム 兵庫にはない雰囲気であった。いよいよ私の戦いが始まった、と思った。
私は新光建設へは、それまでカーペンターズ兵庫の社長だった細田を専務として連れて行き、ゼネコン事業部を担当させた。住宅事業部はとりあえず裏も表も知 り尽くしている山脇が常務としているので当分は任せることとした。細田も私もゼネコンはずぶの素人みたいなものである。7月1日その日に早くも高橋の息の かかった人物が「社長、少し現ナマを用意してもらえませんか」と言ってきた。何に使うのかと問うと、「詳細までは言えませんが、工作資金です」と言うので ある。いくら位かと問うと、1500万位だと言う。私は呆れ返って、使い道もわからないしそんな常識を超える金額の金は出せない、10万とか20万ならま だわかるが、それでも領収書がもらえない現金は今後一切出せない、と言った。完全に私を試していたのである。いくらなんでもそんな莫大なお金が右から左へ 簡単に動くことは一般常識では考えられない。しかしその後の調べで考えられない金額が、営業活動の一環として数箇所にばら撒かれていた。返還を求めように も一人は既に破産者であり、もう一人も金はないので仕事で返すというのである。他の二箇所の企業にいたっては連絡も取れない有様である。ずさんという言葉 では片付けられない、私の経営感覚を遥かに逸脱した事件ばかりで、自嘲するしかなかった。
私は以前青年会議所で親しかった、同業者U建設の専務にアポを取り、当世ゼネコン業界について講義をしてもらいに行った。その内容からしても全く新光建設 のゼネコン営業は異常そのものだった。「北見君、そんなことで受注が取れる時代ではない」とはっきり言われた。そして、ご苦労さんだが君が正常に戻し、こ の地域のゼネコン業界をもっとリードして欲しいとまで言われてしまった。
それから2~3日して地元の顔役とされている人物から電話があり、私に会いたいとのことだった。私は来月の1日ならこちらにいるので構わないと言った。本 当は会いたくない人物だったが、高橋の絡みからしても一度は会って私の姿勢や考え方をきっちり伝えておかねばならないとは思っていたし、逃げられないと腹 は括っていたので会うことにした。そんな約束をしてまもなく、ある人物が何の前触れもなしに私の自宅に、しかも夜突然やってきた。私は名前を聞いて愕然と した。ゴルフ仲間の長井から「北見さん、今度新光建設の社長になったらしいな。必ずこれこれという男が行くと思うから、行ったら北見さんも知ってる自分が ごく親しい『金川』の名前を出しなよ。絶対行くから」と言われていたことを思い出した。私は、その男が持参してきた菓子折を返しながら「金川とは月一回は ゴルフもするし、飲みにもよく行く、今度いついつ一緒に旅行に行くことになっている」とあることないことを話した。すると、その男は本当にすごすごと玄関 のドアを開けて菓子折りを小脇に抱えて帰っていった。私は大きくため息をついた。次の日私宛に今度会うことになっていた地元の顔役から電話が入り、急に用 事が出来たので行かれなくなった、と言ってきた。それから3年の月日が経過したが、その後その気味の悪い男も顔役も私は一度も会わなくて済んでいる。完全 にその二人は裏で繋がっていたのである。私は本当に運のいい男だと思っている。いろいろな人に助けられて今日まできていることをあらためて感謝しなければ と思っている。
私は、受注は取れば取るほどいいと、今の今まで信じていた。しかし、受注といってもしてはいけないものがあることをはじめて知らされることになった。神戸 市に特別老人ホームの仕事が舞い込んできた。施主も設計士も私が良く知っていたので仕事の依頼が来たのであるが、この業界の常識で特命にはしてもらえず競 争入札になった。私は営業に「どうする?」と言うと、「是非とって下さい、とって頂けたらどうにでもなりますから」。私はあらゆる情報網を駆使し、絶対落 ちる金額を予想し、見事落札した。私は多少図に乗ったかもしれないが、ゼネコン営業とはこういうものかと思ってしまった。しかし、それから数ヶ月ほどして からあちらこちらで私の良くない話が風聞のごとく耳に入ってきた。「今度の社長も馬鹿やあ、取ったさえええ思とる、何ぼ持っていく気やろ、現場がちっとも 分かっとらん、そんな甘いもんやないで特に今の時代は」。私はすぐさま営業を呼んで尋ねてみると、「社長、心配せんといて、何とかしますから」と言う。そ の後日が経つにつれ一向に事態は好転せず、結論から申し上げると、約1500万ほど、その現場で赤字を計上する羽目になってしまった。営業に問いただして みたがただ「すみません」と言うだけで今更どうすることも出来なかった。
その当時平行して兵庫県の公共物件も受注していたが、その物件も大幅赤字を計上し、結局私が引き継いだ37期は当然のごとく3億弱の経常赤字、38期はか ろうじて3000万ほどの黒字、39期は前述した大型赤字物件の影響をもろに受け1億の経常赤字決算になってしまった。見る見るうちに内部留保、つまり別 途積立金は減ってしまい、当たり前のことだが自己資本率も30%をきってしまった。今40期の決算も大詰めの段階で〈2006年9月15日〉は全く予断を 許さない状況である。余程のことがない限り2000万くらいの黒字にはなると思っているのだが、自分でも情けない話だと歯痒くて仕方がない。
2005年に遡る。2月頃の日経新聞だったと記憶しているが、経済面に目を通していると「二部上場建設会社S社、今期5億の大幅赤字」という記事が掲載さ れていた。S社の社長は個人的にもよく知っており、ギャラリーにもたびたび来てくれて、年末に行っているチャリティー展の良き理解者でもあり、毎年いくら か買ってくれている人物である。私が新光建設の経営を任されることになってからも私のことを気遣ってくれ、新光建設の設計担当者何人かをS社に勉強会に連 れていったこともあった。〈同業ではありえないことである〉。そして私はS社を新光建設のゼネコン部のビジネスモデルとしてそれまでは事業を進めてきたの である。そのビジネスモデルが大幅赤字ではモデルにならない。私はこの一年半ほど当社のゼネコンについて頭が壊れるほど考えを巡らした。が、私が納得でき る結論には到達できない日々が悶々と続いていた。何とか新光建設の上期が終わる3月末までにはと焦ったが、とうとうその答えが見つからないまま4月を迎え た。
そんな苛立ちが続いていたある日、私の手元に講演のビデオが届いたのである。その講演者は『ワイキューブ』という就職情報誌の社長のものであった。そのビ デオを見終える頃には私からここ半年ほどの迷いが消え、目の前がぱあっと明かるくなった。『選別受注』それが答えだった。私の持論である『欲しい情報は本 当に欲しいと思い続ければ勝手に集まる』がここでも証明されたのである。
2005年5月1日の全体朝礼で私は、これからのゼネコンの事業運営について熱く語った。「私はとってはいけない契約があることがわかった。今まで受注は すればするほど良いと思っていた。しかしそれは間違っていることにやっと気がついた。今ここで皆さんに私の無能さに対してお詫びする」と言って切り出し、 今後は選別受注に徹することを懇々と説いた。選別受注といっても二種類あって、一つは『顧客の選別』であり、いま一つは『利益の選別』である。『顧客の選 別』の原価率は何%、『利益の選別』の原価率は何%以下とし、全て専務決裁事項とした。多くの社員はあっけにとられていたが、中に数人の社員は〈やっと気 がついたのか〉というような表情を見せた者もいた。
それから数ヶ月の間営業は連戦連敗で、受注はほとんど上がらなかった。私の予想通りだった。当然の結果である。今までは見積原価をいくら切って入札するか であったのが、原価にいくらかでもオンして入札に臨むのだから取れる筈がないのである。私は営業チームを二つに分け、ひとつは従来のゼネコン営業、つまり 官公庁や設計事務所やこれまでの付き合いで随契で仕事が戴けるチームと、半年前にサンホーム兵庫から二人移動させていた社員に新光建設の二人を加えたチー ムを『開発営業』と名付け、一般顧客をターゲットにした営業活動を展開していったのである。それから半年くらい経った頃にはポツリポツリ契約が上がるよう になり、『選別受注宣言』してから一年半が経過した現在は、私が目論んだ受注数字にはまだまだ程遠いが何とかなりかけている。少なくとも利益のない物件は なくなった。
この半世紀の日本の社会構造を象徴するかのようなゼネコン業界は私にとっては全く『怪物』そのものであり、今も理解し得ない業界である。スーパーゼネコン を頂点に繰り返されてきた様々な出来事は我々とはかけ離れた別世界であった。今その仕組みが少し壊れつつあるようだが、それも定かではないし、私などの知 るところではない。ただ言えることは私が掲げた『選別受注宣言』は間違っていなかった。それを見事に証明してくれたのが皮肉にも一時期新光建設がビジネス モデルに掲げたS社だった。最近の新聞に掲載されたS社の記事に、2006年上期S社売上44億3千万、経常利益2億2千万、いずれも前期比120%と あった。私はうわさでS社は儲からない物件は一切見積もりにも参加しない、という事を人づてに聞いていた。私は一年後には新光建設も必ずそうなっていると 更に確信を深めた。


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