或る二世経営者のホームページ ~香山廣紀 かく挑み、かく歩む。~

或る二世経営者の挑戦


第一部 ~君は父親を越えられるか~


第一章 新社屋の完成

ボーナスもろくに払えない時期に、今度の社内旅行はハワイへ行こう、などと言って、多少無理はしたが実現した。月当たり平均3億5千万位の契約高の頃に、 1ヶ月10億やろう、と言って会社のあらゆるところに、10億・10億と書いた紙を張り巡らし、それも何とか達成した。私は次なる明確な目標を模索してい た。私は目標を出来るだけ分かり易く、具体的なものが良いと思っている。そして、可能な限り利益を共有する者が多い程良いと思っている。
私は、分からないときは他人に聞け、を大切にしているので、或る社内の勉強会で社員に、会社に対する要望はないか、と云うアンケートを取った。その中の一 つに、[こんなボロボロの会社、新しくして欲しい]、と云うのがあった。成る程、云われてみれば確かにそうである。当時の社屋は、以前に建っていたモデル ハウスを解体した古い部材と、現場で使い物にならない残材を利用して建てた代物だった。2階などは内装もしていないベニヤのままだった。今で云うアメニ ティのかけらもない、社屋と云うのには恥ずかしい建物だった。よし!次の目標が決まった。新しい社屋の建設だ!
私は、無謀にも昭和61年度の方針発表会で新社屋の建設を打ち出した。後に述べる機会があると思うが、2~3年位前知り合って大きな影響を受け、今も私の 根本的なものの考え方の中心になっている、水口先生の教えの一つでもある「思いつくことは実現する、声に出して多くの人に語るならば、より一層可能にな る」を素直に実行したのである。
しかし、先ず資金がない。銀行の借入では能がないし面白くない。ここで、アパート事業を実際自分の手で起こした経験が、大いに役に立った。家賃なら払え る。私は親父の名義で社屋を建てることを思いついた。自己資金もいらないし、銀行に利息を支払わなくても済む。早速、その話を父である社長にした。社長は 時期早々だと言って反対した。反対は覚悟の上だった。私は相続税対策であり、所得税もこれくらい軽減できると、力説をした。「勝手にせい!」と云う事で資 金の目処はついた。次は、仮設の事務所を建てる場所である。或る日、出入りの不動産屋が、斜め向こうの空き地を買わないかと言ってきた。買う力はないが、 1年程貸して貰えないかと聞くと、いいだろうと言われ、トントン拍子で事が進んでいった。後は、どのような物を建てるかだった。
私は、友達の設計士に相談をし、簡単なラフプランの提案を受けた。外観は気に入ったがしっくりこなかった。2階から5階までの平面図はほぼ出来上がった が、1階が決まらなかった。ショールームにすべきか、又サロン風にしたら良いのか迷っていた。そうこうしている内に、1ヶ月が経過してしまった。当時最も 親しかった友達の一人である谷口君とお茶を飲んでいた。(今現在は疎遠になっていて、何とか修復したいと思っている)その谷口君が「ギャラリーがいいよ、 北見!」と言った。私は、そのアイディアを貰い、モヤモヤが一気に晴れたのを覚えている。設計士とあちらこちらの美術館を見て回った。結局岡山にあるオリ エント美術館の一部を模型にしたようなギャラリーを1階に創った。私はスペースが余りに狭いので、大いに不満だった。後になって分かったが、ギャラリーと しては、相当広くて、アーティスト達からは人気がある。私の頭には、美術館のイメージが残っていたものだから不満だったのである。
竣工式は盛大に行われた。出来上がった5階建ての、コンクリート打ちっぱなしの新社屋を前にした感慨はひとしおだった。私のイメージ通りの建物だった。又 一つ目標が実現した。頑張ろう、社内通達をした、王者復活の日はもう直ぐそこまで来ている。私はなんでも出来る、自信に満ち溢れていた。

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